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岩魚との出会い

 釣りを始めて間もない頃、何とかして岩魚というものを釣ってみたく、私は友人とふたりで宮城蔵王の源流域へ向かいました。
 子供の頃に経験できなかった、釣りというものを始めて体験したのがその1年前。私に釣りを教えてくれた師匠は、岩魚を釣りたいという私に延べ竿を握らせ、まずは貞山堀でハゼを釣ってみろ、と言いました。
 時期は秋、肌寒い風のなか、試行錯誤しながら私は10~20cm足らずのハゼをそこそこ釣りました。今思えば、そのときの仕掛けはセイゴ針に2Bのガン玉、1.5号の道糸に目印と、師匠が源流で大岩魚を狙うときの仕掛けにそっくりでした。
 私はその3.4ヶ月間、すっかりこの「釣り」というものに没頭していきました。数釣りをしたときは、家で天ぷらをつつきながら酒を飲み、飲みながら、釣りの奥深さを少しずつ学びました。
 翌年の春、いよいよ私は渓へ向かいました。 初めてウェーダーを履きました。渓の中に立つと、その景色は今まで見てきた景色とは全く異なり、墨絵のような、乾いた空気と、雪の中を割って流れる黒い流れがそこにありました。
 冷たい流れの中、ところどころに顔を覗かせる、岩と岩との間を飛び渡り歩きながら、師匠はドバミミズで良い型の岩魚をテンポ良く釣り上がって行きました。
 ハゼ釣りとは違う、緻密なポイント選び、流れの筋に正確に流す餌、そして魚との駆け引き、私はついてゆく事が出来ず、しばらくは釣れない日々が続きました。
 ある日、私は友人と蔵王へ向かいました。昔アルバイトをしていた牧場の近くには、小さな沢が何本かあり、そこに岩魚が棲むという話は聞いたことがありました。まだ雪が残る小沢を、私達は釣り上がりました。
 流れの筋もポイントもなにもなく、とにかく少しでも深く、岩魚が付きそうな場所にミミズを放り込む。まだ雪解け水も出ていない、透明な流れのなかに、とにかく糸を垂らしていきました。
 30分ほども釣り上ったころに、微かな影がミミズを追い、すぐにどこかへ消えた。この小さな流れの中のどこかに魚がいる。そして私達が流すミミズに興味を示している。そのことに、私達は異常なまでに興奮しました。訳のわからない叫び声を上げながら、震える手で竿を振り続けました。落ち込みを二つほど遡ったところで、微かに竿先が引き込まれた。慌てて竿を立てる。何かが流れの中から飛び出し、白い雪の上に転がり、元気良く跳ね回っりました。
 雪に滑ったのか勢い余ったのか、定かではありません。私は雪の中に転びながら、竿を放り出して駆け寄りました。雪の中、這いつくばった先には、黄色、いや、橙色に近いほどに腹の染まった小さな岩魚が、サビもなく、ピンと張った尾びれを伸ばしそこにいました。
 私はそのとき、あまりにも、あやういひとつの命が、そこにあるような気がしました。
 そのまま私は写真も撮らず、慌てたまま彼を流れに戻しました。少し驚いたように1mほど泳ぐと彼は上流を向き、しばらくそのままじっとしていた。まるで私をじっと見ているかのように、あるいは私に自分の姿を見せ付けるかのように、じっとして、そのまま流れの中に佇んでいました。

 気づくと彼はいなくなっていました。ただ雪の中を、さっきと同じように細い流れが流れていました。
 顔を上げると青空が広がっています。枯れた木の枝に、不規則に切り取られた、蒼い空がありました。
 そのまま寝転ぶ。深呼吸をする。静かな風が枝をくすぐる。そのまま目をつぶり、私は掌に残る小さな命の感触を確かめていました。

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