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蒲生干潟のミサゴ

 カワセミの魚とりは、くちばしからダイナミックに水に突っ込むという、捨て身の漁ですけれども、猛禽類は足から水に突っ込み、その鋭い爪で魚などを次々に捕らえ、悠々と遠くに魚を運んで優雅に食事をする印象があります。なかでもミサゴは魚を主食にし、カワセミとは対照的な、魚とりの名手なのかもしれません。

 その日、蒲生干潟は強い風に吹かれる中、小鳥たちは脇の藪の中に潜んでなかなか姿を見せず、水面のカモたちは、みな風裏に集まっていて、コガモは水中に頭を突っ込んで、尻だけを突き上げて水中の何かを食べ続けています。
 左手に目を移すと、5,6羽のキンクロハジロが、水面を泳ぎながら、黄色い目でにらみを利かせています。
 私たちは強い春の風を感じながら、それでも晴れた日差しを受けながら、まぶしい小道を歩いていきました。
 少し先では、ヒバリが地面をつついています。白、茶、こげ茶のくっきりしたコントラストが、明るい光のなかでとことこと歩き、しばらくすると大きく羽ばたいて、またどこかへ行ってしまいます。

 突然、上空に白い影が現れ、何度か頭上を行ったり来たりし始めました。ミサゴです。
上空から首をこちらに何度かむけ、その大きな瞳で、まるで私たちを捕らえることが出来るかどうか、品定めをしているようにも見えました。
 この強風のなか、風にあおられることもなく、時に空中をすばやく移動し、時に一か所でホバリングし、しばらく私は彼と視線を交わし続けることになりました。
 
 ミサゴはおもに生きた魚だけを捕らえる、と聞いたことがあります。
強風の日も、海の在れた日も、水中で直前まで元気に生きていた命だけを捕らえる、そこには、太古から空と海の間を行き来して生活の糧を得る、ミサゴのプライドのようなものを感じます。どんなに腹を空かせても、自分が本当に必要な命だけを選んで食べるという、強い意志を感じます。
 同時に私は、生きた魚を追えなくなった、年老いたミサゴの姿を考えました。年を取り、体力や、スピードの衰えたミサゴは、その場を若いミサゴに譲り、静かにその一生を終えるしか方法がないのかもしれません。
 ついに海に落ちたミサゴは、今度は、海を棲み家とする魚たちの、命をつなぐことになるのかもしれません。

そんなミサゴたちの寿命は、30年ほどと、他の哺乳類と比較してとても長く生きます。海辺の食物連鎖の頂点を成すミサゴなら、それも納得できます。

 13年前、私が東日本大震災の直後、最初に立ち寄った海辺は、蒲生干潟でした。
 あの日、このミサゴがあの津波の上を飛んでいたのか、そしてあの景色を見ていたのかどうか、それはわかりません。それでも、私は今日同じ時間を彼と共有できたことを、なにか貴重な縁のように感じました。

 鳥たちと私たちは、それぞれまったく異なる時間軸を生きています。それでも、私たちはそれぞれの人生を交錯させ、大きな自然のイベントを共有したりしなかったりしながら、関わって行く、そんな当たり前のことを、思い出すことが出来ました。

 ふと気づくと、ミサゴは徐々に離れて行きます。貴重な出会いに感謝しつつ、上空を仰いでいると、彼は白くて長いフンを飛ばしつつ、どこか遠くへ飛び去って行きました。

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