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「私」と「筋子」の「話」

「私の筋子との邂逅」は、北海道の「道南地区」、「キン○マ袋の向かって右側」に位置する、言わずと知れた観光都市・函館市…に隣接する「ベッドタウン」、七飯町で過ごした「少年期」に遡ります。

「道内屈指の漁師町」である「函館周辺地域」に於いて筋子は、概ね「家庭的」といえる食材の一つでしたが、当時「小学生」だった私の好物は、「カレー」に「カツ丼」、「ピザ」に「生姜焼き」(全て今も大好物)であり、「食えば美味い」ものの、なんだか「外側の皮」が中々千切れなくて、単体での「かき込み力」にイマイチ欠ける、しかも「肉」や「揚げ物」より「格下」の「魚介類」に分類される筋子の認識は、せいぜい、「魚類にしてはそこそこイケる」程度のものでした。

そんな「ある日」、筋子にも「一筋(※注:一つの筋子、という意味ではありません。)の光明」が差し込みます。
「母」が「皮」ごと「調理バサミ」で「一口サイズにカット」したのです。
「主婦の機転」によりもたらされた「革命」により「食べにくい」という「最大の弱点」を克服した「我が家の筋子」は、一躍「どんぶり3杯の友」の称号を獲得するに至り、「肉を甘辛く焼いたやつ」や「昨日食ったカレーの残り」と肩を並べる、「一軍級のおかず」と相成りました。

時は経ち、関東の大学に「進学」を決め、「一人暮らし」を始めた私は、「すっぱムーチョ梅ごはん」から「偽梅蘭焼きそば」まで、数限りない「珍料理」を「発明」し、時に「シウマイ弁当」、時に「ニュー坦々麺本舗」に「舌鼓」を打ちながら、「卒業」まで筋子の事などすっかり忘れて、それはそれで「楽しく幸せな学生生活」を過ごしました。

関東で「就職」し、ある程度「金銭的」に「余裕」のできた2021年、「社会人4年目の冬」でありますが、「大阪」での「1年半の長期出張」から「束の間の一時帰宅」で、「遊びに来ていた彼女の要望」もあり「関東の優良スーパーLIFE」にて「特売筋子2本入り」を購入、実に「8年ぶりの再会」でありました。

「世」は空前の「キャンプブーム」、「ミーハー」な「私」もすっかり「モンベル」や「キャプテンスタッグ」の「虜」となっており、「ネット通販」で購入した「固形燃料」と、「中華製メスティン」でこしらえた「自慢の白ご飯」を、「幾万生命の醤油漬け」、「8年振りの旨味魚雷」こと「特売筋子2本」と一緒にかき込むと、「口の中でプチっと弾けた魚卵と醤油の塩辛いコク」が「白米の甘み」に「じんわり」と溶け込み、「お焦げの香ばしさ」も相まって、「果てしない旨味」が「鼻腔」を貫くと「これほどまでか」と改めて「筋子の価値」を「再評価」するに至りました。

さて、「生活の本拠地・大阪」でも「優雅な筋子ライフ」を「満喫」してやろうと、連日スーパーを訪れるのですが、「スーパー玉出(「たまで」と読みます。)」にも「グルメシティ(「ダイエー」と読みます。)」にも「愛しの筋子」が中々見つかりません。「イクラ」はどこでも売られていますが、「隣に置かれるはず」の筋子がどこにもありません。「Google」で「検索」したところ、なんと「関西圏には筋子を食べる文化があまりない」そうです。中には「時々売っているが高い」という「意見」もあり、存在自体はしている様ですが、「食材としての市民権」は「東日本」と比べてそれほど得られていない様です。

こうなりますと、「希少価値」と言いますか、「私の中での筋子の評価」は更に高まり、いつか「新世界の中心で通天閣を眺めながら筋子を食したい」等と、「推し」と「推し」との「夢のマリアージュ」を想像して「股○を膨らます」のであります。

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