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「そういうことだったんだ」


お友だちや好きな人と何処かに行って、お目当てのお店が休みだったとき、ちょっとショックは受けますが、引きずりません。「そういうことだったんだ」と思うようにしてます。これは何か次なるいいことに繋がる前兆と思うのです。実際、良いことに繋がっている時がほとんどな気がします。


仕事の面接に落ちた時、病気になった時、割引なっていたシャンプーを次の日買おうと思って行ったら無かった時、観ようと思っていた映画がもう終わっていた時…
まぁシャンプーは単純に取りっぱぐれただけなのですが、面接に落ちたのは相性が合わなかったってだけの話ですし、病気になるのもそれ以上体調が悪化しないための体からのサインです。
なるべくしてなった事象、それらをいい方向に持ってけるかは自分次第です。そしてほとんどのことは解釈次第なんだと思います。マイナスに捉えるかプラスに捉えるか、その人次第です。


いつからこういう思考が身についたんだろうとふと思いました。一番大きかったのは、会社を辞めたことだったかもしれません。「会社という組織に所属することを諦めた」ことが大きなキッカケだったと思います。

現在35歳ですが、会社員時代、31歳くらいの時に適応障害になりました。休職を経て復帰を試みましたが、ダメでした。一度ついてしまった心の動きからの身体症状(動機、呼吸困難、目眩など)は休んだだけでは取れません。その後うつ状態となります。
32歳で「きっと自分は会社に勤めることなんて無理な人間なんだ、諦めよう。」そう思いました。組織に所属することを一度諦めることにしたんです。当時結婚もしていましたし、会社を辞め、心身の回復に勤めることにしました。

でもここから大変でした。目の前が歪むほどの不安が毎日のように襲ってきます。貯金はあるのに、夫もいるのに、自分の収入がない事等の不安から、夢見ていた将来が全く思い描ける気がしないんです。絶望的な日々でした。今も当時と同じアパートに住んでいますが、当時は光のない真っ暗な空間のように感じていました。

でもまぁ、このままではダメなわけです。なんとかしようと動画や本を読み漁りました。これまで自分が受けてきた教育環境から見えてくるものや、日本特有の価値観による弊害を記述したもの、最終的には精神医学の専門書まで様々な分野の本を読んだわけですが、「今の自分がこうなっちゃったのはこういうことだったんだ。どおりで生きづらいわけだ。」と、知ることができたんです。自分が悪いとずっと思ってたんですが、どうもそれだけでもないようで、腑に落ちた感覚でした。(ここからまた別の越えなければいけない山に直面しまして、どうにか乗り越えたわけですが。)


当時読んだ本の一部。中でも伊藤絵美さんの書かれた『スキーマ療法』についての本は特に為になった。


病気になり、会社勤めを諦めてから2、3年ほど学びながら色々やってきたわけですが、全部ひっくるめてよかったなと思っています。この数年でこれまで生きてきた自分自身の棚卸しをしなければ、この先もっと拗れて大変だったと思います。きっと「そういうことだった」んです。結構大変でしたが、重要な期間でした。
世の中の基準に過剰に振り回されることも無くなりましたし、自分の過去ともじっくり向き合うこともできました。狭い世の中しか見えてなかった視点も、グンと広がりました。もちろん今でも気分の波はありますが、そんなのあって当たり前です。ロボットじゃないんだし。波が起きても、溺れて沈むことはもうないでしょう。結構乗りこなせてきていると思います。


一度諦めてみたことで身につけた「そういうことだったんだ」と思えるスキル、これはいわば自分の執着を解放してあげるってことです。「諦める」と書くと一見ネガティブに聞こえるかもしれませんが、執着しない選択ができると結構生きるのが楽です。潔く手放してリリースしてあげる。超簡単に言うと「ドンマ〜イ!つぎつぎ〜☆」というフッ軽精神が身についたってことですね 笑。こうなれると、ぽんぽんと先に進んで行ける気がします。というか、先に進まずとも足取りが軽いのは確実です。足元が軽いと、次のチャンスが来た時キャッチしやすいですしね。

すべての偶然は必然です。そうなるべくして成るものは成るし、成らないものは成らない。潔さを身につけて次、次と進んでいきたいものです。



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