短編小説『ツボックス』
――女性人権ホットラインです。
もしもし、はじめて電話するんですけど。
――よく電話してくださいましたね。
ごめんなさい、ここでいいかわからなくて。
――大丈夫ですよ。何でもご相談ください。
ちょっと話しにくいというか……性、性に関する悩みで……。
――ご安心ください。こちらの利用者の方でもっとも多い相談が性の悩みなんですね。
ああ、そうなんですね。
――ええ。ですから、なんでもお話いただけたらと思います。
あの、つきあっている人とのことなんですけど。
――はい。
ちょっと長くなるかもしれないですけど最初からでいいですか。
――もちろんです。
あの、彼はもともと売れてないミュージシャン、シンガーソングライターで、で、わたしは彼のファンで、3年前からつきあってるんですけど、1年くらい前からセックスレスだったんです。
――そうなんですね。
あの、その日は彼バイトしてたんですけど、ウーバーイーツの。長時間自転車で走ったんで、足が疲れたらしくてマッサージをしてあげてたんです。
――はい。
足の裏が特に疲れたっていうので、足つぼを押したんです。そのときはつぼとかはわからないですけど。そしたらまあ、痛い痛いっていうんですけど、わたしも面白がって押し続けたんです。
――ええ。
で、その押し続けたら急に彼が「あれ?」って言ったんです。それでもわたしは気にせず押したら……彼がその、どんどん気持ちよがって、声を出し始めたんですね。
――マッサージが気持ちよくなったんですね。
いや、そうじゃないんです。一度止めたら止めないでくれっていうのでまた押しました。また痛がるんですけど、しばらくしたらなんというか一線を越えたように気持ちよがって。力が抜けたような声を出しました。それでも押し続けたら、段々その、息が荒くなってきたり、その性的な……。
――ああ、そういう性的な。
ええ。で、その、果ててしまったんです。
ーーその、なんていうんでしょう……下半身から
いや、脳が、頭の中がばっと気持ちよくなったそうで。
――ああ、じゃあ、その足つぼで? 一種の性的な快楽を得たということですね。
ええ。彼はそのあとツボックスと呼び始めたんですけど。
――ツボックス?
はい。足つぼのつぼにセックスのクスでツボックスです。
――ツボックス……そんなことがあるんですね。
ええ。終わったあと、今まででいちばん気持ちよかったと言われて、ショックでした。
――それはショックですよね。
でも、彼はずっとセックスに不満や不安を持っていたそうなんです。なんか抱き合って幸せな気持ちになれても、それ以上はあまりしたいと思えなくて、セックスに義務感を感じるそうで。終わったあともむなしいって。あと、気持ちよくなる女性に対してコンプレックスをもっていたと言って。でも、今のツボックスではじめて心の底から気持ちよかったそうで。
――なるほど、長年いろいろ抱えてたんですね。
いろいろショックでしたし、最初ツボックスをしたときは正直引いてしまったんですけど……もともとわたしファンなので、彼が喜ぶことなら協力したいなって思って。それからは最初セックスをして、後半彼にツボックスをするという流れになったんです。
――ああ、一方的ではなかったんですね。
ええ。基本的にむちゃくちゃいい人なんです。動物とか子どもにもやさしいし。
――良い人なんですね。
はい。で、ツボックスをするうちに、彼はミュージシャンの活動も調子よくなって。アルバム制作が行き詰まってたんですけど完成させて。そしたらそのうちの1曲が、ある有名なアイドルがツイッター、あ、今Ⅹか、でおすすめしてくれて、彼の曲の再生数がすごいあがったんです。
――すごいですね。
ラジオとかでもかかるようなったり、ライブもお客さん増えたり、なんか見た目も声も色気が出てきて女性ファンが増えたんですよ。
――よかったですね。
ええ。でも彼は繊細なんで、売れていくのをプレッシャーに感じて、その分わたしにツボックスを求める回数も増えていったんです。
――なるほど。
わたしも応えてたんですけど、ふと何でこんなに彼氏の足つぼ押してるんだろうって疑問に思って。
――なるほど。
ツボックスって何だよみたいな。
――我に返るというか。
ぜんぜんわたしなんかただのOLなのに、性格悪いんです。
――そういう考えが浮かんでしまうんですね。
足つぼであんな喜んで、気持ち悪いなって思っちゃったんです。
――彼氏さんに対してそういう思いが浮かんで罪悪感がある。それをお悩みなんですね。
そうですね。でも、まだ続きはあって。長いですよね?
――いえ全然。すみません、話の腰を折って。続きをどうぞ。
その、ほんとわたし性格わるくて……ツボックスを渋るようになったんです。そしたら彼がなんでもするからって必死にお願いするんです。彼はほんと良い人で強引に迫る人じゃないんです。それにつけこんで……わたしが好きな彼の曲歌ってよってひどい条件出したんです。プロの人に。そしたら彼は一瞬躊躇したんですけど、ギターをもってきて歌ってくれて。つきあい始めたころだって、ファンだったんで、お願いすることもなかったんです。恐れ多いというか。はじめてだったんです、プライベートで歌ってくれたの。だから感動して泣いて、ツボックスしました。
――へー、よかったですねそれは。
うれしかったです。わたしのためだけにって。でも時間が経つと、そこまでしてツボックスしてほしいんだと、ちょっとあさましく思えてきて。嫌な女です。
――どうでしょう。人間誰しもそういう気持ちはあるような気がします。
ファンが増えたこともちょっと嫉妬してたんです……お前らが好きな男は足つぼでこんなに喜ぶんだぞっていう気になってきて。それからツボックスするときは料理や洗濯全部丸投げしたり……ひどいのは曲や声なんか大橋トリオに似てるのに、フワちゃんのものまねさせて歌わせたりしたんです。本当に自分が嫌いです。
――そのことを悔やんでるんですね。
はい。
――最初はあなたが彼のファンだからお2人の間で彼の力関係が上だったけれど、ツボックスを期にそれが逆転しまったんですね。
そう、そうなんです。最悪です。
――でもどうでしょう。ずっと力関係が上というのも不健全な気がしますし、長くつきあってるとお互いどこかしら幻滅するところは出てくると思うんですね。
……そうかもしれませんけど、要はわたしが嫌なことしたっていうのがもう。
――罪悪感があるんですね。
はい。それで、そういうことを続けてたら、彼がある日、もう別れたいって言ってきて。
――ああ。
わたし、絶対もう歌わせるとかさせないからって言っても、彼は自分が変態なのがわるい。私のしたことはしょうがないって。でも尊厳を傷つけられたし、もう修復するのは無理だって。
――彼は傷ついていたんですね。
ええ。私はでも受け入れられなくて。素直に彼の言葉を受けとめられなくて、売れてきたから女でもできたんじゃないかと思って、彼を尾行したんです。そしたら、案の定ある女といっしょに家に入るのを見て。
――浮気というか、きちんと別れないうちに別の女性とつきあっていたと。
私は黙ってられない性格なんで、すぐ言いました。そしたら正直に浮気は浮気かもしれないけど、ツボックスだけのつきあいなんだっていわれて。
――いわゆる身体だけのつきあいというか。
彼はツボフレと呼んでましたけど。
――ツボフレ……。
そんな関係をもつ人じゃなかったんです。なのに……。
――ツボックスが彼を変えてしまったんでしょうか。
そうなんです。わたしはわたしがツボックスするとしつこく言い募ったら、彼は自分の尊厳がとかいろいろ言ったあと、正直その女は私よりツボックスがうまいんだと言いました。わたし、泣きました。
――それは、つらいですね。
ええ。でも少し経って冷静に考えると原因はわかったんで。わたしがツボックスうまくなれば、戻ってくるだろうと思ったんです。わたしバカみたいに前向きな性格で。
――すばらしいと思いますよ。
だから足つぼの専門店でやってるリフレクソロジーの講習を受けることにしたんです。
――そんなのがあるんですね。
ええ。資格をもてるところがあったので、そこで本格的にやりました。理論と実技で50時間くらいかけて。
――けっこうやりましたね。
26万ちょいでした。
――それはずいぶん本格的なものですね。
3か月集中して学んで、その間彼とは会いませんでした。彼はもう、別れた気でいたと思います。3ヶ月経って、彼に連絡したんです。うちに置いてあるものもあるので取りに来てほしいと。
――なるほど。
足湯を用意して待ちました。これまではしてこなかったんですけど、講習で足の血行をよくするため最初に浸かったほうがいいと教わったので。家に来て彼がなにこれと言ってきたんで、この3ヶ月のことを話しました。そしたら彼もじーんと感動してくれたみたいで、おのずと足湯に浸かりました。
――すごいですね。それで、どうなったんですか。
それはもう……正直すごかったです。
ーーそうですか。
尿管と膀胱のつぼがあるんですが、そこを押して痛みを越えると、まあすごい興奮してしまい……出ちゃいました。
ーー足つぼで?
足つぼで。
ーー彼はどうでしたか。
泣いて喜んでました。私もうれしくて抱き合いましたし、勝ったと思いました。
――勝った?
と思ったんです。なぜだか。
――何になんでしょう。
……彼の性癖でしょうか。
――なるほど。
でも勝ってなかったんです。彼がいよいよツボックスにはまってしまって。
――そうなりそうですね。
毎日のようにツボックス求められましたし、その回数も一回だけじゃたりなくて。
――それがまた苦しくなったと。
いや、わたしもわたしでおかしくなってきたんです。ツボックスで彼を興奮させて、果てさせることに……恥ずかしいんですが快感を感じてきてしまって。
ーーそれはどういう感情というか……
前はあきれてしまったんですけど。なんというか技術をもったので、それを発揮したい気もあるし、頼られるうれしさもあるし、なんか彼を征服してる感じもあって。結局嫌な女なんです。わたしのほうでもどんどんツボックスをしてしまいまして、お互い生活が成り立たなくなってきて。彼はライブをドタキャンするようになってしまったんです。歌わないんです、もうつぼばっかです。
――それは大変ですね。
ええ。もうどうしていいかわからなくて、ここに電話するのおかしいかもしれないですけど。
――いやいや。もしかして、一種の依存症かもしれないですね。
依存症、ですか。
――セックス依存症という性行為を止められなくなる依存症があります。そうなると、自分の意思ではセーブがきかず、だんだんと麻痺してより強い刺激を求めるようになっていくようです。
ああ、そういう感じです。最近彼は片足ずつのツボックスに満足できなくなってきて、誰か別の女に教えてくれないかって、なんかぞっとするような暗い顔で言うんです。でもそれは、言ってみればセックスを3人でするようなものじゃないですか。それはわたしとしては受け入れがたいし。
――そうですよね。
彼にとってわたしはもう、足つぼを押すだけの女なんです。この状態から抜け出すにはどうすればいいか、もうわからなくて。
――それは難しいですよね。
ええ。でもこんなこと誰にもいえないし。
――どうしたいというご希望はありますか?
それはやっぱり、こんなのおかしいと思うんです。だってツボックスなんて、バカみたいじゃないですか。
――まあ、性癖はそれぞれだとは思いますが。
毎日つぼを押す生活止めたいです。でも、辞められないんです。
――一種のセックス依存症だとすると、依存症治療をする医療機関にかかるという手が考えられます。
でも、彼は病気と思ってなさそうです。
――そうすると、まずはあなたから止めることを検討してみるといいかもしれません。強引に説得するよりも、パートナーの行動を見るにつれ行動が変容するケースは多いので。お話を聞くと、もともと彼氏さんは真面目な方なようですし。
ええ。頭もわたしよりずっといいし、もう立ち直ってほしいです。
――大切な方なんですね。
いちばんです、誰より。また歌ってほしい。
――あなたが彼を大切だと思う気持ち、お話から十分伝わってきました。彼にどんなことを伝えたいですか?
……また、なにげないことで笑ったりする生活がしたいです。お互いを、ツボックスだけの相手にするんじゃなく、ちゃんと心でつながりたい。
――きっといつか伝わって、元の彼氏さんに戻れると思います。
はい……。
――それでは、お住まいの地域の近くの依存症治療の病院の連絡先をお伝えしましょうか。
お願いします。あと、もう1つ悩みがあって。
――なんでしょう。
最近、今話したことで眠れなくて。眠れないって友達に言ったら、ヘッドスパを勧められて行ったんです。睡眠効果があるからと。
――いいですね。
そしたら、その気持ちよかったんですけど、気持ちよすぎて……。
――あー、同じ?
ええ、性的な快感を感じてしまって。
――ヘッドスパで。
ヘッドスパで。わたしの中でヘックスと呼んでるんですけど。
――ヘックス……。
その、大きな声が出てしまい出禁になるんですけど、どんどん別の店を渡り歩いてて。貯金もなくなりキャッシングの返済でちょっとどうにもならなくなってるんですけど、これもその依存症でしょうか?
――……多分。
(了)