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無傷だったら人として生まれてくる意味がない

そういえば
最近、映画を観に行ってないなぁ
と、フッと朝に思った



昨年の年末くらいから
週一くらいで観に行ってた

観たい映画もあったからだけど
わたしの場合は
映画を観ることで
ものすごい感性が養われる気がするから
たまぁに無性に観に行きたくなるのだ


それか


あぁ〜、なんか泣いてスッキリしたい〜


ってときにも観に行く



別に、これといって
哀しいことがあるわけでもなく
泣きたいわけでももちろん、ない

ただ、なんとなく

そろそろ体からなにかを出さなくちゃ

っていう、感覚に近い


人間って
定期的に体から色々出さないと
それこそ、体にも心にも悪い

体と心は繋がってるから
ちゃんと出すものは出して
たまに整えてあげないといけないのだ



昨年から観まくった映画

【すずめの戸締まり】

この中で
主人公、すずめと
すずめを育てた叔母が
本音をぶつけ合うシーンがある


すずめは、震災で母を亡くし
母の妹である叔母に育てられた

当時、すずめはまだ小さいし
叔母ももちろん、若い
結婚も、してない

けれど、結婚願望がないわけではない

顔もそこそこキレイだし
縁談のひとつやふたつ、あったかもしれない

でも、叔母はコブ付き
自分の子じゃないけど
自分の子として育ててる

自分の子として育ててるすずめのことが
可愛いくないわけはない
可愛いくないわけはないけど
たまに、自分の人生はなんなんだろ、と
思うときもある

すずめのために働き
きっと自分の夢とか、恋人とか
いろんなもんを諦めて、犠牲にして
そうやって生きてきたに違いない

高校生になったすずめ
年頃になったすずめ

気持ちがわからなくなる
ちゃんと意思疎通ができない

やっぱり自分の子じゃないから
うまくいかないんだろうか

と、思い始める


そんな思いを抱えたまま
なんとなく日々をやり過ごす中で
それは突然にやってくる

我慢してた想いが
自分の中の、奥底に眠ってた闇が
汚い言葉となって放たれる

「もうわたし、しんどいわ
 コブ付きじゃ婚活だって
 うまいこといかんし
 やりたいことだってあったのに
 あんたがいたから諦めたし
 わたしの人生返してよ!
 もう家から出ていってよ!」

映画を観てる人はわかるけど
“サダイジン”という猫に取り憑かれて
叔母はこういうセリフを放った

けれど、ある意味
取り憑かれなければ言えなかった言葉でもある

それは、ずっとずっーーと
隠していた本心

それを聞いてすずめも

「わたしだって
 一緒にいたくているんじゃない
 環さん(叔母)が言ったんだよ
 一緒に暮らそう、って」

と、言い返して言い合いになる




わたしは、常々、思ってることがある

それは

人は、ちゃんと傷つかないと
そして、相手もちゃんと傷つけないと
前に進めないときが必ずある、と

誰だって傷つけるのも
もちろん、自分が傷つくのも嫌がる
当たり前だ

誰も傷つけずに、傷つかずに
過ごしていけたら、それにこしたことはない

でも、人間として生まれてきた以上
無傷でいることなどできないし
というか、無傷だったら
人間として生まれてくる意味がない
とさえ、思う


それに

お互い傷付け合ったって
二人の関係、それだけじゃないよね?

と、思う


映画の中で、このあと叔母は

「あのね、さっき言ったこと
 胸の中で思ってたことはあるよ
 でも、それだけじゃなかとよ
 全然、それだけじゃなかとよ」

と、すずめに言う

すずめもそれに対して

「うん、わたしも」

と、答える


結局、本音をぶちまけて
傷つけたとしても
それがその人の“すべて”ではない

それまで過ごしてきた感情
そして、思い出、愛された記憶、愛した記憶

それは紛れもない証拠で、ホンモノで
それが、
本音を言い合って傷つけられたからといって
帳消しになるわけじゃない


案外、人って
誰かに何かされたりすると

「あの人、あんな人なんだよね」

なんてなったりするけど
いやいや、それだけじゃなかったよね?

仲良くしてたこと
優しくされたこと
もしかしたら助けられたりしたこと

あったよね?

それが、一つの出来事で
すべてなくなるの??

と、思う


生きてたら
ましてや一緒に暮らしてたら
汚い姿、醜い姿を晒しまくるし
そして、汚い言葉も浴びせられるし
浴びせることもある

でも、それだけじゃないからやっていける

傷つけられたことが、傷ついたことが
お互いの“すべて”ではないから
また、いくらでも向き合える


その、向き合う作業は

いままでのわだかまりがなくなって
もっともっと楽しくなる

それもこれも
傷つけたからこそ、傷ついたからこそ

なのだと思う



わたしは、その点
傷つくことをあまり恐れない

大切な人ならなおさら

傷つけてくれてありがとう

とさえ、思う


そして、その傷を忘れることなどしない

その傷と共に歩いていきたい

と、思う



生きてる以上
大小あっても、何かしら傷はつく

それって、ある意味、勲章になる

だから、誇りを持って
傷だらけで生きていきたいと、思う



そんなこんなで
長文になったけど
わたしの、第一号のブログ 

このブログでは
インスタでは綴ることのない
ちょっと深めな“想い”を
発信していけたらなぁ、と思ってる


わたしの文は長いけど
最後まで読み進めたくなる文にする

そんな変な自信なら、ある(笑)


それは、けっして文章力とかじゃない

どれだけの想いで
それを文字にしてるか、だと思ってる


それが読み手にも伝わると信じて

ここに、綴っていく

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