ママと娘のピアノ戦争
娘がピアノを習うキッカケになったのは
フィギュアスケーターの浅田真央ちゃんだった
私と娘は大のフィギュアスケート好きで
特に、浅田真央ちゃんの大ファンだった
その影響で、娘もずっと
スケートがしたいスケートがしたいと言ってたが
色々調べても、どう考えても金額的に無理で
そこで私が出した案は
『スケートはやっぱり無理やけど
真央ちゃんが滑ってる時の曲を
ピアノで弾けるようになるのはどない?』
娘は、大喜び
私は、早速ピアノ教室を探しだした
けれど、当時の我が家は
習い事にかけるお金も厳しくて
それで、知り合いの子も通ってて
お月謝も安いピアノ教室を紹介してもらい
そこに通わすことにした
その時、娘、確か小学生低学年だったと思う
でも、やっぱり安いなりには
安いなりのモノしかなかった
先生はとっても優しくてまったく注意もしない
子供からしたらとても良い先生かもしれない
でも、優しすぎてまったく練習しないのだ
練習せずに行っても特に注意するわけでもない
ちょっと弾けたら、上手だねーと褒める
私は、そもそもバリバリの体育会系出身だから
練習しないなんてありえなかった
しかも、保育士、幼稚園教諭の資格も一応あるから
毎日練習しないと上手くはならないのも知っていた
なのに、まったく練習しない
もちろん上達はしない
そして、私、『練習しなさい!』と怒る
娘はだんだんピアノが嫌いになっていく
それでも、なんだかんだで
そこへは2、3年ほど通ったが
娘もまったく面白くなさそうだった
途方に暮れた私は
近所にある厳しいと評判のピアノ教室があると聞き
そこに通わすことを決めた
もちろん、お月謝は高くなる
でも、その時点でお金のことは頭になかった
娘をピアノ嫌いにさせるわけにはいかない
その想いだけで、そこの教室の門をたたいた
そこの教室には
娘の同級生の子たちも結構通っていた
みんな、学校の音楽会などで
ピアノを担当するくらい上手い子たちばかりだった
その中に“今から?”
というくらいの年齢で娘を通わすのは
親としても少し可哀想な気がした
でも、ピアノだけはどうしても辞めてほしくなかった
はじめに娘に簡単な曲を弾かせ
娘のレベルを確認
その上で、先生は私にこう言った
『2、3年ほど通ってるのに譜読みもできない
今の段階では初心者レベルです
私はそれでも容赦しませんが
お母さんそれでもよろしいですか?』
私は、その先生の言葉を聞いてから
先生の顔をまっすぐに見てこう言った
『私は、娘をピアニストにさせたいわけでも
音大とかに行ってほしいわけでもありません
ただ、真央ちゃんの滑ってる曲を演奏してほしい
そして、娘にはピアノを好きになってほしい
ピアノは音楽の基本だと思っているので
ピアノができたら
夢も広がるんじゃないかと思うんです
私のせいで娘がピアノを嫌いになってしまったから
娘にピアノを好きになってほしいんです
ただ、それだけです
先生、どうかこの子がピアノを好きになるように
させてあげてください!』
こう言って、深々と頭を下げていた
先生はその言葉を聞いてなぜか涙ぐんでいて
『こんなに熱い親御さん、はじめてです
お母さん、任せてください
お嬢さんをピアノ好きにさせますので☺️』
と、仰ってくださった
そうして、娘のピアノ生活が改めてスタートした
先生は厳しかった
でも、出来た時はすごい褒めてくれた
だから、練習も自らするようになり
どんどん上達した
そして、2回目の発表会のときに念願の
【ノクターン】を弾かせてもらえた
娘のささやかな夢が叶った瞬間だった
私は、ビデオを回していたけど、正直
涙であまり見えなかった
そうして、高校は遠いとこに通うことになって
ピアノも習えなくなるからということで
中学3年でお教室を辞めることになったが
その最後の発表会で先生が選んでくれた曲は
【月の光】だった
さすがに私の大好きな【愛の夢】までは
とうてい届かなかったけど、それでも
真央ちゃんと同じような色のドレスを身にまとい
堂々と弾く娘の姿は、今でも焼きついている
弾き終わった後、先生が涙を流しながら
仰ってくれた
『○○ちゃん、ありがとう、先生、感動したわ』
もっと上手い子はいくらでもいる
娘の同級生の子に比べたら
娘なんかまったく及ばない
それでもなんか、伝わるモノがあった
きっと先生もそれを感じてくれたのだと思う
そして、娘が今でも音楽に携わっていられるのも
この先生のおかげだ、と
私も夫も、そして娘自身も思っている
そして24歳になった娘は
『結婚して子供産んだら
絶対にピアノだけは習わすねん!』
と言っている
※この話の一つ前の記事
よければ合わせて読んでみてください^^