弱い私と 私と 弱い私を守る強い私 弱い私は、 すべてを否定する。 だが、それは自分にのみである。 自己肯定感が著しく低下。 生きる理由を簡単に見失う。 極度の構ってちゃん。 弱くなってる私を皆が気づいてると思っていて、その日何らかの心配する声が掛からなかったときは馬鹿みたいに落ち込む。 卑屈になる。 「なんでこの子、誘ってくれなかったの?」 「友達なんじゃないの?」 「私なんかのこと、忘れちゃったの?」 「知り合いが沢山いると、関わりが浅くなった人は忘れるの?」 「じゃあ
インスタを開いた。 ホーム画面にはにはイルミネーションやホームパーティーを楽しむ友人たちがいた。 そんな人たちを見て、私は思う。 ─あ、誘われなかったな。 結構仲いいと思ってたんだけどな。上辺か。 てかこの子今度遊び行こうねって言ってたくせに連絡来なかったな。 ─どうせ、私のこと嫌いになったんだろう。 こういうこと思い始めると止まらなくなる。 絶対違うのに。私の自意識過剰なだけなのに。 負の感情がどばぁっと押し寄せてくる。 ─どうして私を誘ってくれなかったんだ。
リビングで、こたつで温まっているときだった。 母から友人の訃報を告げられた。 幼稚園から高校まで一緒だった友人はそこまで仲が深いというわけではない。 廊下ですれ違っても、 挨拶はせず通り過ぎる。 そんな感じだ。 時々、趣味の話で意気投合したり馬鹿をやったりするときもある。 訃報を聞いたとき、 何故かわたしの心は澄んでいた。 特に悲しい、とかなんであの子が、とか。 そんなことを思うわけでもなく、 「人ってかんたんに死ぬのね」 と。母が聞いていたことを思い出し、 「
誰かと喧嘩したり言い合いになったりと 自分の意見を押し通そうとして それが跳ね返されてしまったとき そこから離れようとする そういうときは大抵出かける前なので 不自然ではない かもしれない 打たれ弱いわたしは強がっていても 涙までは強がれない でも他人に見られるのは嫌だから 赤く在る目で溢れる水をこっそり落とす ふと 誰かに見つけてもらえないかなと 痛い心が動くけど かと言って 見つけて貰っても気まずい でも慰めてほしい おこがましいかな こういう