No.13|百日行願13日目(2024年8月15日)
百日行願、十三日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
私は生きているのか死んでいるのか、わからない毎日を過ごしてきました。
親を恨み、他人がまったく信じられず、どうにもならない毎日に発狂してきました。
その奥にある気持ちはこうです。
「誰も俺の気持ちはわからない」。
これをめいいっぱい、取次者に聴いてもらってきました。そして今……。
自分でも驚くほどに穏やかな心になれた
両親へも人並にこれまでの感謝の気持ちを持てるようになれた。
このようになれたのも「わかってくれる人がいる」を体感できたことにほかなりません。
求めていたのは「須賀院くんの気持ち、わかるよ」という言葉じゃありませんでした。そんな一瞬の言葉じゃない。
一緒に悩み、一緒に考え、一緒に過ごしていく。大切だと思われながら。それが地で感じられた。それを地で感じさせてくれる存在。これ。
もっと言えば、私以上に私のことを考えてくれているのではと思う日もありました。
私なんか、自分の人生なのになかば諦めていましたから。
でも、取次者は諦めていなかった。「助かってくれよ」と、ずっと祈っていてくださったに違いないと、当時悩みの渦中にいた頃はわかりませんでしたが今ならわかる。
それだけのことをしてもらったきた。
すると、ここから私がするべきこともハッキリとわかります。
それが、とても明確になりました。
私にとって取次者がかけがえのない存在であったのと同じように、私も誰かの(あなたの)かけがえのない存在になれるように、ただそれだけのために私の命を使うのだと。
命を使えばいいのだというよりも命を『使いたい』、そう強く思えている辺りもおかげいただいたのだと嬉しく思います。
自信は、ありません。
まったくです。
そんな存在になれるなんて、私ができるなんて、これっぽっちも思っていません。できっこない。それよりも怖い。困っている人の命を自分ごとのように預かるなんて……。
でも、してもらってきました。
その過程で自分の底も見てきた。
怖いけど、そこに命を使いたいのです。
そういう想いで、百日行願も取り組んでいますし、このFacebook(元はFacebookに投稿しているものをnoteへ転載しております)の毎日投稿も続けていきます。
お読みいただいている人に、私の思惑の一端が伝わりましたら幸いです。
そこであなたにお願いがあります。
あなたの周りに、どう見ても生きるのがつらそうな人がいましたら、「川崎の武蔵小杉に奇人がいる」と私のことを紹介してもらえませんか。どうぞよろしくお願いします。
今日もお読み頂き、ありがとうございます。
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