No.56|百日行願50日目(2024年9月21日)

おはようございます。

百日行願、五十六日目。

今日も命を頂きました。
ありがとうございます。

来月、師の教会にて御大祭(ごたいさい:大きなお祭り)が仕えられます。

もちろん私は例年通り参拝させていただくのですが、
なんと、今年は娘2人と共に参拝させて頂く運びとなりました。

今日はなぜそうなったのか、その辺りの話をしたいと思います。

その前に、私の中で強烈な先入観があったことをお伝えしておかなければなりません。それは良くない先入観です。

妻が居ないと娘たちと参拝することは不可能

私の先入観

という先入観。

どういうことか。

・私は師のお教会で仕えられるお祭りに参拝したい
・出来ることなら使っていただきたい、願い出たい
・すると私から娘たちが離れなければいけなくなる時間ができる
・以上の理由から子守りとして専念するなら娘たちと参拝できる
・しかし私の中で使っていただきたいが強いため今は無理だろう

私の思考回路

文字にするならこういった思考回路です。

そういったフワフワとした想いを胸に(ただ、娘と参拝なんて無理だろう……コレが強いためにこれまでは願ってもいなかったこと)、あるとき知人(金光教教師)と話し合う場がありました。

そのときにその人は「連れてくればいいじゃないですかぁ~」と言ったのです。それはもう、かる~く。かつ、うれしそうに。

そのとき私の中に生まれた気持ちは、

・えっ、どうやって?
・それは無理だろう

私の中に生まれた気持ち

と今までと変わらない気持ちでした。

と同時に、なぜこの人はそこまで言い切れるのだろうか。言っているテンションから、とても他人事とも受け取れませんでした。それは可能だと。ただし、とても楽観的だなぁとは思いました。

ただ私の中で引っかかった。
えっ、もしかして可能なのか。
その思いのまま、師へお届けしたのが今年の4月のことです。

そしてその翌月の5月から、私と娘たちとの参拝が始まりました。

5月は長女と。
6月は二女と。

はじめて面と向かって師と話す娘たち。
これはもう、私が想像していなかった光景です。

師と面識ができたこと。これが大きかった。
なぜこれまでしてこなかったのかと。
もちろん現状を喜びつつも。

それからトントン拍子に話は進み、
来月、まさかの、
私と娘2人とでの珍道中。
師の教会で仕えられる大祭への祭典参拝が予定されることになったのです。

結果、他先生方の力を借りることになりました。
物理的にというやつです。

私が御用にお使いいただいている間、
娘たちとは物理的に離れなければならない時間がどうしても出てきます。

つまり、とてもわがままな話なのですが「御用に使っていただきたい」という私の願いも受け入れてもらった結果なのです。

今日この話をココに記し、皆さんに伝えたいことは、

これがあるからこれができない

この先入観は取っ払ってほしいということ。

できていなかった私が言うのもなんですが、
何でもお願いしてみたらいいのだということ。
道はどのようにつくかなんてわからないよという話です。

そのことを伝えたくて今日は、1つの文章にまとめました。

何度も書きますが、私の手を離れた娘たちは、誰か(金光教教師)のお世話になるわけです。それをあたり前だとは1ミリも思っておりません。誰かにとってみればしなくていいこと(他人の娘の子守り=面倒なこと)が増えるわけですから。それはもう、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

でも長女の今は今しかありません。
二女の今は今しかありません。
そして私の今も今しかない。

どこまでも勝手ですね。
勝手な言い分ではありますが……。

お世話になって、お世話になって、お世話になって、
そうしておかげいただいていこう、
心からそう思えるようになりました。

追伸:あらためて、それは無理だろうという私の考えがことの発端でした。

もちろん、まだ来月のことですのでどうなるのやらわかりません。
でも、ここまでのお繰り合わせには、
ただただありがたいことだと思う次第です。

また1つ、私の先入観を外して頂きました。
信心すれば人は改まることができます。
改まるとは、先入観を外していく営みだとも思うのです。
なんだか偉そうですが……。

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