No.93|百日行願93日目(2024年11月3日)
おはようございます。
百日行願、九十三日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
代を代わり、10年が経ちました。
教会の代替わり。
お参りされている人にとってみれば、とても気になり、
そして、それはもう心配されたことと思います。
金光教の多くは血縁で継承されます。
本部も6代目。教祖から数えて6代に渡る。
ここ武蔵小杉教会も初代が私の父。そして二代目の私。
外部から継承者を立てるよりも安心材料は増えるのかもしれません。
ただ、私は流れを汲むことができませんでした。
祖父を師と仰いだ父のやり方を、踏襲することが出来なかったのです。
おかげで信者たちから色々な言葉を投げかけられました。
いずれも代替わりしたあとの言葉です。
(今でも忘れません。きっと忘れることはないでしょう)
それでも、私は父のやり方、外部の声に添えなかった。
でも、ただ嫌だった、だけではない、そんな話を今日はします。
私は教師になってから取次助けられました。
取次というものがどういうものか、教師になった後に知ったのです。
裏を返せば、取次を知らなくても教師になれるということ。
これが実に恐ろしいことか。
そして、取次経験から、自身の底を見ました。
それはもう、どん底。
二度と見たくない、味わいたくない。
ドロドロとした、マグマみたいな底なし沼。
そんなイメージ(現在進行中……そんなにすぐには変われませんので、根は同じ人間です!!!)。
叫べども叫べども一向に誰にも声は届かず(届いている気がしない、独りよがり)、かすかに見える取次者の影。
まさに「藁にもすがる」状態。
掴んで良いのか確信も持てないまま、ただ掴むものといったらコレしかないといった状態。だから掴んだ。死ぬぐらいなら掴もう、そう思えた。それが師の影、師の存在だったのです。
師が取次を表現するときに使われる言葉。まさにコレ。
命を受けとめてもらった気がしました。
救われました。
心の底から安心できた。
もう少し頑張ってみようと思えたのです。
そうした取次のいちいち(教会の環境や、氏子への対応の仕方)が、当時の武蔵小杉のソレとは違った。明らかに違ったのです。少なくとも、私にはそう感じられた。
だからこそ、気になった。
そして、一つひとつ、祈念しながら進めていきました。
そんな言葉を目にしたのは時すでに遅し、5年を過ぎた頃だったと思います。
先の言葉の真意は、いきなり変えると変えられた方もビックリするから。
いくら説明されても納得できないから、そんな理解です。合ってますか。
ただ、私の中で我慢がならなかった。
そして変えた。
だから揉めに揉めた。
言い合いに言い合った。そして、信者の本音。
去っていった信者も一人や二人じゃありません。
まさに反省の連続です。
誰かの手紙にも書きましたが、死ぬまで反省し続ける。
この記憶は私の脳内にインプットされています。
でも、なぜそこまで変えたかったのか。
それこそが、強烈な取次体験あったればこそなのです。
「助かる」が明確にイメージできた。私の中でね。
父母に無いものだと自信を持って言える。
取り次いで助けてもらってきた経験、
これはココにいる誰にも劣らないと、言えるのです。あなたへも誓えます。
もちろん、方途は色々とあるのだろうと今なら思えます。
ただ、当時のがむしゃらな私は(今もか)、これこそ(私の望む変化)が助かりへの最短ルートだと確信してやまず、形を、私が助かってきたソレへと次々に変革していったのです。
ココだけの話、やってよかったと思っています。
まずは、私の思いを形にできたこと。指を咥えて待っているだけの私ではなかった、その点は我ながら褒めてあげたいと思っています。
それだけ、氏子の助かりを真剣に考えることができた。理解できぬ人とぶつかっても、戦っても、成し遂げたかった。そう強く思えた。それはつまり「助かる」を実現するために。
ただ、そう簡単にはいきません。なかなか、人が「助かる」と言っても、5年10年の話ですから。
そんな10年が経ったのです。感慨深すぎます。
そして私は今日も、命を頂き御用させて頂いています。
この10年を味わった武蔵小杉教会教会でね。
今日は、代を変わった人間がどういう人間で、どういう気持ちでお参りされるあなたの前に座っているのかを知って頂きたく、1つの文章にまとめてみました。判断材料にして頂けたら、幸いです。
追伸:どう足掻いても、これが私のストーリー。そう思います。
カッコ悪いし、不器用だし、上手くはやってこれませんでしたが、私ががむしゃらに動いて、反発を喰らい、辛酸を嘗め、凹み、ときに諦めながらも、神様と先生と共に、今日まで紡いできた軌跡であることを、あなたへお伝えしたいと思っているのでしょうね。
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