No.87|百日行願87日目(2024年10月28日)

こんにちは。

百日行願、八十七日目。

今日も命を頂きました。
ありがとうございます。

私は我の強い人間です。
負けず嫌いでプライドの高い人間だと自覚しております。
誰かに指摘されるのを嫌がるし、
言われたら反論したくなる、
とーっても器の小さな人間だとも思っております。

そんな私が宗教者の両親の元に生まれ、一応は自分で選んだ道ではありますが両親と同じ道を歩み、ここ武蔵小杉教会の二代目として今御役に当たっています。プライドの高い私が。

プライドの高い私ですからこれまでも生きづらい人生を送り、かつ教会の代表になってもなお、生きづらい人生を送ってきました。

それが3年前の春、ようやく雪解けと言いますか「あゝ背伸びしなくてもいいんだ」そう思えるような取次体験(おかげ体験)をしました。

そこから私の我の強さも柔らかくなっていったように思います。顔も緩んできました。顔の緩みは近しい人からも声が上がっています。「先生、顔つきが変わったね~」と。

でも、根っこは同じなのです。油断をすればいつ何時……そんなことを思いながら毎日を戦々恐々と生きています。

私がこの実体験を通して分からせてもらったことと言えば「自分の怖さ」でしょう。

周りじゃありませんでした。私がこれほど怒るのも、周りがイケないんだ……というのではなくて、その周りのせいにしがちな私が一番怖いのだと、そのことを分からせてもらったように思います。

そこまで理解させて頂いた私が次に取るべき行いこそ、自分を見ていくことです。

今日の自分はどうなんだ
コレですね。もう毎日コレばっかりしているように思います。

おかげは和賀心にあり
見ること見ること自分を見ること

教祖様のみ教え

金光教にも教えは山のようにありますが、

【【【 自分を見ること 】】】

が鉄則のように思っている私です。

周りを責める方が楽ですからね。自分が至らないばかりに腹を立てるのだと『すべてを飲み込んでいく』ことのほうがよっぽどしんどいことなのかを痛感している毎日です。

あなたはどうですか?
生きづらくなっていませんか?
私にお手伝いできることはありますでしょうか?

追伸:自分を見ることってなんだろうと思う人はぜひ一度教会へいらしてください。

鏡のように、私がなーんにもあれやこれやと言わずに(無音で、静寂に)あなたのストーリーに耳を傾けますと、あなたの視点は自然に自分へと向いてくる、そんな体験ができると思いますので。

「じゃあどうするか?」そんな感じですかね。ぜひ一度お教会へ。神様と共にお待ちしております。

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