No.84|百日行願84日目(2024年10月25日)

こんにちは。

百日行願、八十四日目。

今日も命を頂きました。
ありがとうございます。

おかげさまで、今日で46歳になりました~👏👏👏

生まれてから今日は日数にして16,803日。1日1日おかげを蒙り続けての16,803日目。およそ信心なければ積み上げられた日数にはピントも合っていなかったと思います。「もう46歳か~」せいぜいそのぐらいでしょうか。

信心させていただいて、
命の元を教えていただいて、
自分が生きている意味合いを分からせて頂けました。

昨日はある映画を観させて頂きました。
サウンド・オブ・フリーダム
少し衝動的に映画館へ。

プロパガンダ映画と言われる人もいる。実際に起っていることだとしても変に不安を煽り人々を先導する意図が作品に含まれているのではと言う人もいる。事前告知を観ただけで、内容を知らされただけで目を塞ぎ耳を塞ぐ人もいる。毎日の生活でいっぱいいっぱいだから、余計な不安を抱えたくない、とそういう理由から感心を寄せない人もいる。

このリアクションの違いこそ、信心ある人と、無い人の栄目だなぁとも思いました。

作中で次のセリフが複数回叫ばれていました。

神の子供達は売りものではない
(God’s Children are not FOR SALE)

神の子、みんな神様の御子。
兄弟姉妹。家族。身内。大切な人。大切な存在。
心からそう思えたら……。

綺麗事に聴こえたらそれまでです。

でも、心の何処かで目の前の人間に『神の子=大切な存在』という気持ちが1ミリでも生まれたら、それは強い抑止力になるのではとも思いました。

昔は「お天道さまが見てる」なんて言われ方もしましたね。
今では「バレなきゃ大丈夫」「みんなやっている」がオチでしょう。

もちろん人は生きていかなければいけないから、悪事に手を染めなければ生きてはいけない社会に始めから生まれ落ちた人もいるのかもしれません。

いろんな立場の視点に立てば、
いろんな人の『言い分』もあるでしょう。

だから中立を叫び、なすがまま指を咥えて待っているのか……。私は違うと思えました。

語ることができます。語ることができる国に居られることも有り難いことだと想えるようになりました。

少しずつ気持ちも変化していっています。

命の御礼はもちろんのこと(最優先事項=これが無いと何にも始まらない)、

世の中の人へ問題へ目を向け、見て、聴いて、自分で考えて、ときに語って、目の前に現れた人の話をよく聴いて(←マジで、もっともっと)、そうやって頂いた命を使っていきたいとそのように思っております。これは「えっ!?あの私が??」と自分でも飛び上がるほど驚く変化なんです。

兎にも角にも、46年間、0歳から1歳で1年間ですから、まさに46年間昨日までの日数にして16,802日間(今日16,803日目も、有り難く命を頂いております)、おかげを頂き尽くしてここまで来たのだなぁと、有り難く思います。

今日もお読みくださり、ありがとうございました~。

追伸:小3になる二女が誕生日プレゼンにと手編みのマフラーをくれました。今、それを身に着けながら文章を書いています。

ところで、少し前から「おむすび」という言葉を大事にするようになりました。おにぎりではなくおむすび。想いを込めて米と米を「むすぶ」。それを頂く。そんなことを考えていたら編み込むマフラーも同じなのかなと。想いを込めて糸と糸を「あむ」。

言葉遊びではありますが、使う言葉を大切にすると、心が変わってくるというのは私の実体験として強く感じるところです。気になる人は色々な言葉を調べてみてくださいな。同じ言葉で意味がいくつもある日本語は、知れば知るほど奥ゆかしいといいますか、自分の想いも深くなっていくように感じています。……ごめんなさい、娘からの誕プレでマフラーを貰って嬉しかったという話です^^

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