No.74|百日行願74日目(2024年10月11日)
おはようございます。
百日行願、七十四日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
新たな気づき……
それは、毎日のことだ。
ただ、新しいというよりかは、深く知らしめてくださる(これも神様からのおかげ、神様のおかげ頂かないと思考すら出来ないから)、そんなおかげの世界を毎日、事あるごとに感じています。
そのおかげだって、私自身どこまで分かっているのかわかりません。なぜなら、誰かに腹を立てたり、思ったように進まない現実に不平不満な気持ちを並べたりしているから。はぁ~
1分1秒、神様が「須賀院崇徳を生かそう生かそう」と命を紡いでくださり続けているわけです。これは金光教の教えでもなんでもなく、単なる事実。
金光教を信仰していようがしていまいが関係ない。誰もに、この世に生きている人みな「平等に」与えられているおかげです。その事実。その奇跡。
こうして落ち着いて文章にすれば「そうだ、そうだ」と振り返られるようにはなりました。
ですが、日常は目まぐるしく状況が変わり、御礼の心を24時間、いや7、8時間はグースカピーと寝ているので、残りの16、17時間御礼の心で居続けられるかと言ったら、完敗の毎日です。それが現状。
私の想う新たな気づきとは、それはすなわち、命の御礼をより深く想えるのかどうかと同義ですので、神様への御礼の時間が昨日より1分でも、1秒でも増えるということがイコール新たな気づきかと思っています。
3歩歩いては2歩下がる、いや3歩進んで4歩下がる日も。
日進月歩。
気づきと言えば、命の御礼のみ。
その御礼の気持ちがどれだけ深まるか、生きているうちにどれだけ奥深く味わえるか、そういった世界線で毎日を生きているような気がしています。
いかがでしょうか。
追伸:今日は、昨日の投稿のコメント欄で「新たな気づき」について問われたので、新しい気づきというテーマで「今」想うところを書いてみました。(コメントありがとうございます。反応頂けると文章を書く力が湧いてきます)
この3年間ほど、そんなに大きくは変わらない毎日を送っている感じがしますが、より深く、わが命を味わえるかどうかを追い求めていられているので、毎日を新鮮に感じることが出来ております。モヤモヤもしない。今日もまたありがたい、というのは前提として。昨日より今日はどうだ、その自問は無くなりません。ありがたいですね。
まだまだ、です。命ある限り、新たな気づき(命の有り難さをより深く味わうこと)を追い求めていきたく存じます。