No.73|百日行願73日目(2024年10月14日)
こんにちは。
百日行願、七十三日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
不遇の人生だったと嘆く60代後半の氏子。
「死にたい」と。
私はどうせ地獄行きでしょう、ろくでもない振る舞いをしてきたのですから。
そう言いながらも、
あともって三年だから、それまではなんとか人様の迷惑に……。
バカか、アホか、そのような気持ちで進言させていただきました。
「三年って誰が決めた?」
「生きるって、あんたの力じゃないだろう」
「おかげは、神様からだろう」
声を震わせながらそう言った。
いやいや、明日生きているのか。
なぜそう言い切れるんだ、この氏子は。
なにもわかっていない。
でも、それをそのまま伝えても相手を否定するばかり。
お前(私自身)はどうなんだ。
その氏子にとって、どれだけ命を使ってきたんだ。
そこまで想いが巡ると、お詫びしか出てこなかった。すみません、申し訳ありません、と。
そんな気持ちがワーッとわが体内を駆け巡り、やるせないというか、申しわけないと言うか、でもやっぱり、この氏子はいったい何を言っているんだろう、私の声を震わせた原因はそのような気持ちからのことだと思います。
「私はご無礼者で、今日もこうして久しぶりの教会へ……」
そんな安っぽい言葉にうんざりしながらも、氏子の言葉に耳を傾けていた。喰らいついていたという表現がシックリきます。
「あんた、何歳よ?」
「ご無礼者ってどういう理解で言っているの?」
すかさず口をつく。(猛省)
生きたくても亡くなった人
死にたいのに死にきれない人
死にたいのならそう願えば良い。行動に取るなら好きにすれば良い。
ただぁ、あなたを今日も生かしている神様の愛情は知ってから逝け、そういう気持ち。
涙ながらに……
「施設に入っていた3年間、本当にしんどかった」
「にしても私の人生運が悪かった、悪すぎた」
「これでも、自分なりに頑張ってきたつもりです……」
応える私。
「頑張ってきたものね、うん」
1時間ほど聴かせていただきました。
氏子の感情は、行ったり来たり
それに併せて
私の感情も行ったり来たり……
あなたを叱りつけたいわけじゃない。
それも伝えました。
どこまで伝わったのかわかりません。
私の感情をまとめますと、
やるせない
はがゆい
もうしわけない
氏子への怒りもありました。
そして自身の徳のなさ、不甲斐なさ、氏子をここまで追い込んでしまった自分への怒りもまた浮かんできました。
「今日生きている……神様のおかげ……そうですよね。また御礼に来ます!!」
そう言ってくれたのが何よりもの救いです。
注:その氏子はいつだって「がんばります!」とか威勢の良い言葉を吐いては約束を反故にしてきた氏子(有言不実行)
それも氏子の身の丈。
何度騙されようとも、その氏子を私が真に信じて、何よりも私がその氏子以上に氏子の人生を諦めないこと、そんなことを誓ったある氏子の参拝でした。
とにもかくにも私の徳の無さよ。
お詫び申し上げながら、自らのお育てを乞い願います。
追伸:それでも、私もその氏子も今日も生きているから、神様から尊いおかげ(命)を頂けばこそ出逢えたのだと、あらためて神様へ御礼申し上げたことを付け加えておきます。ありがとうございましたー。
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