No.63|百日行願63日目(2024年10月4日)
こんにちは。
百日行願、六十三日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
昨日の投稿で紹介した『超健康法 中村天風に学ぶ心身統一法 』に、
というごくごくあたり前で、これまで何十回、何百回と聴いておきながら、多くの人が出来ていないであろう大切なことが、何度となく書いてありました。
私ですか?
出来てませんよ。
なんなら、噛まずに飲んでしまっています^^;
で、ふと思ったのですが、
噛むという言葉、食事だけではないのではと。
噛みしめる、という表現がありますね。
感動を噛みしめたり、辛い過去を噛みしめたり。
あゝ、同じかもしれない、そう思いました。
食事では、よく噛むとお腹がいっぱいになります。
お腹がいっぱいということは、新たな食事が不要となる。
同じように、物事を噛みしめる、ということがこれまで以上にできたら、
それ以上の感動や辛さも必要なくなる、そういう論理です。
日本語というのは、本当によく出来ていると思いますね。
そういえば、以前師匠から次のように言われました。
ある氏子のこと。私が投げかけた言葉でショックを与えてしまった、そんなお届けに対してのお言葉でした。
これもまさに、噛む、噛みしめると同じ。
よく噛むことで、自分の吐いた言葉の至らなさにより気付くだろうし、成長のための新たな気付きなど不要だということを示しています。
これまで私がしてきたこと、投げかけてもらってきたことを丁寧に噛みしめれば事足りる、そのことを示しているのではないでしょうか。
私も含めて『もっと成長したい』という人は、何か新しい情報を追い求めがちです。ですが、これまで生きてきたことを振り返る(噛みしめる)ことで、自ずと成長できるのではと思った次第です。
いかがでしょうか。
よく噛んでいますか。
よく噛みましょう!
自分がしてきた言動をよく噛みしめることで、それは魂への栄養になるのかな……、なんて思った次第です。
以上です。
追伸:書いて終わりにならぬよう、食べ物はよく噛み、出来事はよく噛みしめることを、ココに誓います^^
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