No.47|百日行願47日目(2024年9月18日)

おはようございます。

百日行願、四十七日目。

今日も命を頂いております。
ありがたいことです。感謝。

納得できないことがあった場合、

①納得できるまで喰らいつくか
②納得できないまま泣き寝入りするか

私のこれまでは上のどちらかでした。

でも、信心するようになってからは、
新たに、

③納得できない自分を見つめる

ようになりました。これ(③)が増えた。

信心以前は、

現状が最善であることは今も昔も同じ気持ちなのですが、以前はどこかしら、それがマックスのような気がして。

つまり、今の自分には落ち度は無いと、できることはすべてやったと、強く思っていたような気がします。

だから、喰らいついたり、はたまた仕方ないと泣き寝入りしたり。

ですが、信心するようになってからは、そんな自分を見つめるようになりました。

納得できない自分を納得できない自分として、そのままに、それが良いとか悪いとかじゃなくて、「あぁ、納得できてないんだなぁ、俺。じゃあ、次どうするよ?」そんな感じ。

信心ですからね、

④「納得できる自分になれますように」と神様にお願いすること

これ(④)も選択肢として入ってきました。

自分の身の丈を見つめて、

そして、成長(納得できる自分であれるような成長)を願うというのも、いやいや、願えるというのも、有り難いことなのだと思います。

選択肢は多いほうが良い。

もうダメだ

は、選択肢が尽きたときに出る言葉。

これで済んだと思いません

は、選択肢がまだまだあるときに出てくる言葉です。

至らない自分に、どこにどのような無礼や落ち度があったかはわかりません、教えて下さい、お育てくださいと神様に願っていくその選択肢こそ、人をどこまでも活かす第三極第四極の選択肢になるのではと思うのですが、いかがでしょうか。

追伸:命ある限り、希望を持って生きていきたいですね。そのための選択肢を増やしてくださいな。ご信心いただけば、それは叶いますよ!!

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