No.41|百日行願41日目(2024年9月12日)

こんにちは。

百日行願、四十一日目。

今日も命を頂いています。
ありがとうございます。

今日は心の落ち着け方について。

またまた長女の話から。

「なんでパパはそんなに早く眠れるの?」

娘が驚くほど瞬殺で眠る私。

なぜかと考えてみると、何も考えていないことに気付きます。

こんな私でも年に数回は眠れない日が来る。それは御大祭(大きなお祭り)の前です。やっぱり、緊張しているのだろうと思います。

ということは、長女は毎日に緊張しているのでは?そう問いかけました。

「たぶん、そう」

押して尋ねると、

・アレは大丈夫かな
・コレは大丈夫かな

と心配事がたくさんあるようです。

であるならば、心配事がなくなれば心は落ち着くというわけですよね。あたり前なのですが。

ここから具体的な方策といいますか、
私がご信心を頂いて見出した解なのですが……、

それは「隙間をあたえないこと」かと。

まず、心は1つ、なのです。

ご自身の心を想像してみてください。

あれやこれやと考えているのではないでしょうか。

すると、同時並行的にいろいろなものを考えられると思ってはいませんでしょうか。私はここに大きな落とし穴があると考えています。

それはつまり、あれやこれや考えているようでいて、結局は考え尽くしきれていない、散漫な考え方になっているのでは、ということです。

じゃあ、どうすればいいか。

散漫にならない考え方を「お稽古すること」が大切と考えます。

そこでご信心。

オススメは神様への御礼です。御礼の内容はもちろん、あなたが今日も頂いている「あなた自身の命の御礼」です。これはあなたにしかできませんから。

あゝ今日も命を頂いてありがたい……
その程度では終わらせない。

あゝ今日も命を頂いてありがたい。本当はなかったかも知れない命を天地の親神様がよくもまあ私なんぞに与えてくださったものだ。私はそのような尊い命を今日頂いている。そのことが本当に分かっているのかと思わずにはおれません。おそらく分かっていないからこそ、あれやこれやと心配や取越苦労を並べてしまうのでしょう。申し訳ありません。今よりも少しでも、神様から頂いた命に対して御礼が申せる私であれますようにお願い申し上げます。御礼をしなければいけない身でありながら、またお願いしてしまっていることをお詫びさせてくださいませ。ははぁ~。

……このぐらい考えながら自分の命と向き合ったら
心配事が入る隙間がなくなる
そう思うのです。

そういう意味での、心は1つ。

決め打ち、一途、一心……

表現の仕方はなんでも良いのですが、1つ心に決めて神様へ命の御礼を申し上げれば次第に心は落ち着いていくように思います。私のようにね。

いかがでしょうか。

追伸:心が落ち着かない現状を決して、卑下しないでください。それは身の丈ですから、仕方ない。

身の丈としての現状は現状として受け入れつつ、お育て頂けばいいだけですから。お育ていただくのだって命がなければ始まりませんからね(ほらっ、また1つ御礼が言えたのではないでしょうか^^)

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