No.99|百日行願99日目(2024年11月9日)

こんにちは。

百日行願、九十九日目。

今日も命を頂きました。
ありがとうございます。

いよいよ明日です。
教祖様の御大祭に併せて、
開教五十年記念大祭を仕えさせて頂きます。

これまでの10年間をこの『百日行願』で遺しておきたいと、そういった願いも込めてFacebookに、またnoteに『いのちのおれい』としてまとめました。

懐かしい感覚です。

10年前、何も無い、徳も力も自信もないないづくしの私が始めた「三年の行」。石の上にも三年ということで、まずは教会に自分を馴染ませたいと、お結界に三年間座り続けることを自分に課しました。

朝6時の開門から20時の閉門まで座り続けた。
一切、外に出なかった。マジで。

お供え物の買出しも閉門後、もしくは開門前。
そんなこんなで、家族には辛抱してもらいました。
その間の家族行事は皆無。
おかげで長女の園行事には一切参加してません。
ダメ親父です。未だに長女に「来なかったよね~」と、つつかれています。

そして3年後、師匠から頂いた言葉がこちら。
「我を貫き通した三年間だったね」
トホホです。

その間、師匠の教会の120年祭もあった。
でも行かなかった。
「三年の行が……行けなかったんです~」と、さももっともらしい理由をこじつけて。

我を貫き通した……、
頑張ったのにな……、
それがポンコツの私が抱いた正直な感想です。

ですが、今ならわかる。

あゝまさに我を貫き通した三年間だったなと。
そして併せて「しなやかに」という言葉も頂いた。
そして、私の教会長4年目はスタートしました。

そのとき(三年の行をしていたとき)、ブログ『宗教家の書くブログ』を書き続けたのです。今のように。そのことが懐かしく思い出されます。

そんなことを思い出すと、10年経った今もそれほどやっていることは変わらないなと思いつつ、でも私から出てくる言葉は間違いなく3年前と違い変わっている……はず。

目に見えて、御礼が多くなりました。
あとは、秘訣を求めようとしなくなりましたね。これまで頂いてきた取次でのいちいちを思い起こし、噛みしめながら、私の信心を深ぼっていくことが秘訣を求めるよりも断然に大事なのだと理解しているところです。

「しなやかに」はどうでしょうね。「我を貫く」も危ないところです。油断すればいつでも戻りそうだとも思えます。根の変わらない私です。

ここはやはり、教祖様の言葉「これで済んだと思いません」を地で行きたいと思います。

教祖様が、油断すればいつお暇が出るかわからないと、毎日を戦々恐々と過ごされたのだって、おそらくご自身の不甲斐なさ・至らなさ・どうしようもなさを痛感されたからのことだと思っているので。

危ないと心配すれば祈り身構える。
大丈夫だと慢心すれば油断をしコケる。
そういうことなのだろうと思います。

ここからも命ある限り(神様から命を頂ける限り)、心配する心で信心を進めてまいりたいと思います。

追伸:九十九日間、3ヶ月とちょっとではありますが、よくもまぁ今回も7年前同様続いたなぁと自画自賛の言葉で……、いや、自分へ、労いの言葉を送りたいと思います。ここまでお疲れ様でした。明日もどうぞおかげ頂けますように。

【生神金光大神大祭 併せて 開教五十年記念大祭】

令和6年11月10日(日)11時より
於:金光教武蔵小杉教会

※どなたさまでもお参りできます
※宗旨宗派一切問いません

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