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自分を取り戻すためのルーティン 夜編
疲れたのか、自分を出し切ったのか
帰りの電車の乗車率は100%だ。とは言ってもぎゅうぎゅう詰めではなくて、一人一人の肉体が触れない程度の混み具合なのがまだ幸いで、スーパーの寿司みたいに一定の距離で並んでいる。この時期は何故か、ビントロのような色のコート着ている人が多い。
仕事での疲れと電車の圧迫感を振り払うために、駅から家までは大股に歩く。少しきつく歩くほうが、頭の疲れはやっぱり拭える。自分の部屋まで到着した時、「疲れた」と塞ぎ込むような思いが渦巻いた場合はオーバーワークで働いてしまった証拠。このタイミングで「自分を出し切った」と満足げに思えるくらいに心の余裕を残しておき、仕事をやり込みすぎる癖と強迫的な思考を緩めていくのが、大きな課題の一つでもある。
ノンカフェインとクラシック、そしてランプ
夕飯を食べた後は、入浴まで胃袋を休憩させることと併せて、だいたい45分は夜の日課に入る。朝と同じようにお湯を沸かし、パックに閉じられたノンカフェインのお茶を飲む。今は無印良品の黒豆茶が夜のお供。豆の甘ったるい優しい風味が眠気を誘う。
この時間(19:30)、ラジオを回せばクラシックが流れている。NHKラジオのBest of Classicという番組だ。モーツァルトやベートーヴェンの主要な演奏から、ショスタコーヴィッチやリストなど、あまり知らない人の曲も満遍なく流してくれる。耳の中が音楽で渋滞してくるとクラシックを止め、お茶と私の2人きりの時間を楽しむ。時折友情出演として、無香のキャンドルが現れる。
部屋にいつも程よい光を与えてくれているのは、整理好きならご存知「保留ボックス」からの生還を見事果たしたIKEAのランプ。この留置所から生還した者は彼以外いない。以前はキャンドルを3つくらい灯して明るさを保っていたが、部屋を離れる際にいちいち点けては消す手間と、何かに燃え移るのではという心配性の疼きを鑑みるに、メインの明かりはランプが良いだろうと判決が出た。
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布団と読書、サプリメント
入浴後は、夜の日課のおまけが待っている。瞼が自然に閉じるまで読書を進める。私にとって、本はやはり熟読が向いているようだ。いくつかを並行して読んでいる時は、読んでいる本よりもそれ以外の本のことが気になり、読めているとは言えない態度だった。図書館でも、一度に3冊借りればもう満腹だ。1冊もしくは1作品を長く読んでいたい。そう言って去年の春は、ドストエフスキーによる長編小説「罪と罰」だけを3ヶ月くらい読み、気がおかしくなりそうだった。
睡眠の前には、睡眠導入のサプリメントが必要な生活だ。夜の木々の小さなざわめきと月明かりを癒しに眠りこけたいが、こと街中においては車の音、街灯、そして家の中の住人らの生活音に苛まれ、現実的には難しい。音を遮断するために、耳栓をして寝ても、耳栓の感触が気になって眠れない始末だ。毛布でさえ払いのけたくなる時がある。サプリメントはある意味で、自分を強制的にシャットダウンさせるコマンドでもある。
みんな眠らなくなった?
しきりに思うが、人はもう夜眠らなくなったのだろうか?
先日知人のパジャマの購入に付き添ったが、なんと売り場に寝巻きが出ていなかった。日本人は睡眠時間が少ないと批判されている理由が分かった気がした。別の知人も「寝る時間を楽しいことに充てたい」と猛々しく語っていたから、もう皆眠らなくなったのかも知れない。
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