見出し画像

急いで買った物は長続きしない

休日の生活を気持ちよく遂行させる土台として、日課を決めている。

朝食と洗顔の後はコーヒーを淹れる。
コーヒーを飲みながら、一日の計画を考え、整って来ればメモ帳に書き込む。
コーヒーがひと段落した所で、観葉植物の様子をしばらく観察する。
その後、公園へしばらく散歩に出かける。
公園に満足した頃には大体昼時で、帰宅して本を読むか、noteの下書きをする。
そうこうしているうちに日は傾き、日没を窓から見送ってから入浴する。
あとは晩ご飯を食べ、夜のクラシックラジオを耳にそそくさと布団に入り、就寝。

ここ半年間は以上のような日課を続けており、これからも続けたいと思う。

とても気まぐれな、QOL上昇欲求が興る時もある。
そんな時はいつもの日課に、洋楽や貰い物の紅茶、あるいはミュージックビデオ視聴時間がトッピングされる。
この欲求は力強く、何故か急に部屋にスピーカーが置かれたり、読みごこちの良い自己啓発書が急に湧いてきたりする。

ただ、悲しいかな、その時だけは喜ばしくても、結局急いで買った物は長続きしないものだ。
過剰なストリーミングサービスは、外へ行きたい欲求を抑えつけ、家に留まらせた。
自己啓発書が述べている習慣を、いつまで経っても身に付けられない己を恥じた。
いずれにせよ、どれだけ妖艶な誘惑と啓蒙であろうとも、自分の中の自然が抗うのを感じた。
気持ちよさの裏側には、服従の意識が付きまとっていた。

この悲しみは、物欲の減少を引き起こした。
部屋にある物の多様さは、生活の質に関係なかったのだ。
物の奴隷になるよりも、奴隷主に反旗を翻し、身一つで動きたい欲求が疼く。
その欲求は、物欲が減少するか物量が減るかするほど、明確に立ち現れて来る。
おそらく自分は、自分自身で楽しさを創り出し、楽しみ、味わいたいのだろう。


何かしらに「楽しませてもらう」生活ではなく、自分から「楽しみにいく」生活を拓いていきたい。

いいなと思ったら応援しよう!

こにたん
チップは不要ですので、あなたの生活を豊かにさせて下さい🪴