「屋根裏のラジャー」で納得行かなかった点(ネタバレあり)

 「屋根裏のラジャー」クライマックスで不覚にも涙が溢れて止まらなかったのですが、さりとて作品としては非常に残念な部分・不満に感じた部分もあるので「窓ぎわのトットちゃん」ほど手放しでは褒められないと感じたのも事実です。

自分が一番不満に感じたのはそもそもの「イマジナリ」の設定部分です。



※以下ネタバレがあります。



 映画を観ているとイマジナリたちは、その存在を想像し創造した人間が彼らイマジナリを忘れる(夢をみなくなる?)とイマジナリの存在が消えていくという風に語られていました。

ところが実際にはイマジナリたちは人間の元を離れても図書館の中に作った自分たちの世界で暮らしてる風景が中盤に出てくるのです。

「え?人間に忘れられるとか人間が死ぬと彼らは消えるんじゃないのか?」

と思った次第で(^_^;)

さらには彼らイマジナリは図書館に作った世界で「求人募集」の如く次の子どもたちの写真を手にとってその子どもたちの元にまたイマジナリとして現れていたわけで。

予告編を観た印象でもやはり子どもたちが夢を見なくなったら彼らイマジナリは消えるんだって感じに見受けられました。「消えるのか?消えないのか?どっちなんだよ!」と思ってしまった次第です。

このあたり原作小説のある映画だけに、どこまでが原作準拠なのか?が分からない点があるので単純には映画の脚本の批判は出来ないのですが、いずれにしろ世界設定の基本部分なので「イマジナリは人間の子供が夢見た時に生まれて、人間の子供が忘れる・夢を無くす・死ぬとイマジナリは存在が消える」という設定ならば、あの中盤のイマジナリたちの世界のドラマは存在しえないわけで。

せめて予告編やHPのストーリー紹介で「イマジナリは子どもたちが夢を観るとイマジナリたちの世界からやってきて、忘れる・夢を無くすと元の世界に去っていく」と言っていればまだマシだったかな?と。

ただ、それだとイマジナリは子どもたちが夢を見て生み出すものではなく、最初から異世界に居てそこから呼び寄せられ、また異世界に戻っていくって感じの存在になって設定の解釈が謎に陥ってしまう点ではありますが(^_^;)

あとややこしいのが、子どもたちが忘れるなどでイマジナリが消えるわけではなく「イマジナリたちの住む世界に行って彼らで暮らしてる」風景が出てくるのに、その世界で消えていく様子も描かれている。

となるとあの図書館の中にあったイマジナリたちの世界は「死後の世界」であり、その後に完全に成仏する前段階であって、そこで新たな子どもと出会えたら再びその子のイマジナリとして現世にやってくるのだが、そこで何かがあると完全に成仏して消え去ってしまうって事か?と。

このあたりの解釈も設定もどうも統一感が無くて分からなかったですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?