梵鐘受難史(1)
はじめに
2023年8月20日、NHKのweb特集に「ぼん鐘を守った技師」という、滋賀県の記事が公開された。滋賀県守山市の少林寺の梵鐘は一旦供出されたが嘆願によって戻されたと言う話。22日には短い放送もあったらしい。
関連文書は滋賀県立公文書館のwebサイトでも公開されているとあるが、現在確認出来ない。
ここで取り上げられている「技師」、日名子元雄は、滋賀県内の梵鐘35件について「除外申請」を行い、31件を「守った」らしい。
今回のNHK記事は、文書公開にあわせたもので、この事実そのものは前から知られていたらしく、WEB上でもいくつかの記事を見ることが出来るのでリンクしておく。
文化財「出征」に抗した技官 9日 戦時供出と文化財で講演会 2015年08月05日 近江毎夕新聞
兵戈無用 正義と正義の対立を超えて(第18回 非戦・平和展 東本願寺 2018年04月)pdfあり。
戦時下、金属類供出から守られた滋賀の梵鐘 2018年 12月 27日 寧楽悠々自然流(個人ブログ)
この「除外」事例そのものも興味深いのだけれど、静岡市清水区には、一旦供出されながら使われないまま終戦を迎え、アメリカに運ばれた後返還された梵鐘がある(カバー写真・後述)のを知っていたので、他にも似たような例があるのではないかと思って検索してみた。
その過程で、割と最近アメリカ人が書いた論文、The Emotional Toll of Wartime Bell Deployment in Japan(Sherry Fowler ARSOriental Volume 52 • 2022 National Museum of Asian Art)を見つけ、自動翻訳を頼りに読んでみると、歴史的背景説明に続き、清水の例を含め、戻ってきた梵鐘の事例が4つ紹介されている。そして、最後の方には、
とある。まとまった研究はないのかも知れない。
で、例によってグーグルの他、NDLデジタルなどを検索してみると、返還され、平和のシンボルとして重視されているものがそこそこあるもともわかる。一方で、梵鐘を兵器に改鋳したのは第二次大戦からではなく、幕末に既に先例があったことも初めて知った。
この記事は、そうした、関係者にとっては既知のことであっても、私には「発見」である、梵鐘の受難史について、事例を集める場として活用したいと思っている。
書くことで事例は集まるのではないかと言う期待も有り。
と言うわけで、例によって不定期、ランダムに拾い集めてみようかと思う。
さしあたり、次はSherry Fowler論文にある事例の確認あたりから、ぼちぼち。