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楽しさの実験
今いる環境に自分をもっていかれない私でありたい。
今、自分はどんな気分?
いつでも自分とつながっていたい
自分を整え、自分の世界を生きたい。
これは、私がなかなかできないこと。
そして、
生きてく上で、何歳になっても何処へいっても
めっちゃ大事な事やん!
と最近すごく感じている。
つい、今いる環境や周りの苦手な人に自分の意識を明け渡してしまっていると自覚ができるようになってきた。
結婚はほんまに人生の良い学びになるなと思う。
大阪・熊本間での遠距離恋愛を経て去年に結婚。
新しい地域での生活に不安がなかったかというと嘘になる。
義母との同居でパートナーとの3人暮らしに不安がなかったかというと嘘になる。
自営業をする家へ嫁ぐことへの不安はそれなりに感じてはいた。
でもこんなにも自分がなくなるような感覚に飲み込まれてしまうとは思ってもみなかった。
今までの自分の環境とは全く違う環境にいったことで、
今まで知らなかった気づかなかった私の性格や考え方のクセをしれた。
そして、結婚したからどうとかではなく
まずは自分をしっかり立たせよう!
嫌だ嫌だで、じゃぁどうしたいん?
自分と少しずつ会話ができるようになってきた。
この嫁いできた家が嫌で、義母との生活には息苦しさばかりを感じ、田舎独特の「嫁」みたいな無言の重圧を周りから向けられ檻にいれられてるような気分やった。
もう自分の人生は「ここの家の人」としてレールがひかれてるように感じてた。
パートナーへ心も閉ざす日々がほぼ1年続いてた感じ。
何をしていても、
嫌な事に意識をもっていかれてたら
どれだけ大好物のモノを食べていたとしても
モノを食べる行為をしているだけ。
何の味も感じきれない。
この1年はこれと同じような感覚ですごしてきてしまってた。
嫌な事にばかりフォーカスしすぎて、
見えるもの全てが「嫌」という抵抗のメガネでしかみれない日々やった。
目の前の現実は自分が見たいようにしか見れない。
ほんまにその通りやなって思う。
前はこの「嫌メガネ」をつけた自分に✖をつけてどっかで責めてしまったいたな~と思う。
今は、
嫌って感じるなら仕方ない~
だった嫌やもん。
「嫌」というメガネでしか見られへんかっても仕方ない。
って思えるようになった。
ただ、目の前に映る現実に執着するのはやめよう。
自分の感じる喜びや楽しみを自分でちゃんと感じて毎日を過ごしていこう。
そういう風に思える段階にやってきた!
結婚生活を無理してまで頑張ろう!
ではなくて、
今私がチャレンジしてみたいことは
目の前の現実に、他人に、
自分を明け渡さず生きていくこと。
パートナーとの関係も、この今の環境も、
良い意味で眼中から外してみたい。
不思議な事に意識しだすと、
パートナーとの関係も良い距離感を掴めだしている気もする。
自分を生きてみたい。
結婚という節目を通して初めて感じることができた。
毎日楽しく実験してみよう。
ありがとう。
コニシマリコ