hateという感情
最近さ「Asian hate」とか聞くけど、「hate」ってどんな感情なのかな?ってずっとわからなかったんだけど…
hateという気持ちを解くものは理解し合うことではなく、心が動く「感動」なのかもな。って思いました。
きっかけとしては、友達から元king &Prince の岩橋くんのinstagramの写真が送られてきて、顔も雰囲気も、とってもとっても可愛くてびっくりして!感動して!この感動がもしかしたら「hate」を解くものなのかもな。と思って。(元々かわいい系男子にhateなどはないけど…)
生物学上、私は女性で彼は男性だけど、かわいいのが女子みたいな形容詞的な捉え方をするとこの男の子の方が女の子だな。女の子より女の子だな。と思って。なんかもう生物学上は男女はあるけど、服着て歩かないと捕まる世の中で男女なんてどこにあるんだろうって。
hateなんて、形はなくて、ただ「自分の中での”こうあるべき”みたいな形容詞のカテゴリーから外れた、”なんか違くて…”」がhateの感情の正体なのかもなって。相手に対する感情じゃなくて、自分の中で戦う摩擦みたいな感情がhateなのも、、、ね?
hateはもしかしたら、言葉の響きほど悪い感情じゃないのかもなぁって。人間が悪く言葉を訳しすぎたんじゃない?て思うし、思いたいね。
自分自身の心は男性らしいとか女性らしいとか形容詞を気にして、自分自身が誰かとの話の種に上がった時はときは生物学上や、身体的なカテゴリーで話をされて、それを気にして。生物学的なものとその生物学に紐づいている形容詞的なものの間にブンブンしてる。そんなんの繰り返しなんじゃないかなー。
それを上手に、「私は、生物学上は男性、好きな私はかわいいもの。」とか言えるようになると、hateな気持ちもなくなってきたり?そしてそんな姿が誰かにとっては感動で…とか。そんな世界だったらいいな〜なんて。思ってました。
本当にinstagramとかSNSで自分を発信している人には本当に意味があるし、心から「ありがとう」と思うし、そんな人たちがうけるhateは、その人に向けられたものではなく書いた人が自分自身に向けた言葉だと感じて欲しいな。って思いました。思えないけどね、実際向けられたら。
とりあえずありがとう、だね。