いっちょかみ(前編)
私はすぐイイ人ぶろうとしてしまう。
母がそうしていたのをよく見聞きしていて、そんな母を尊敬していたから。
母が父に駅まで車で送ってもらった時の話。
少し先に揃いのジャージを着た中学生集団がいた。みんな自転車を歩いて押している。どうやら1人パンクしてしまい、全員その子にあわせて歩いていたらしい。それを見た母は父に「かわいそうだから、車に自転車積んで送ってってあげたら?」と言ったそうだ。
この話を聞いた当時の私は、「母は優しい。見ず知らずの人に何かしてあげようとするすごい人だ」と思った。このエピソードが強く印象にあり、私は授業で尊敬する人を聞かれたとき「母」と答えている。
でも後から考えると①自分が行動するのではなく父にやらせようとする(自分は用事があるので)②実行しなかった父を批判する(母に愚痴られてこの話を知った)③そもそも知らない大人に声かけられ車に乗せられるの怖い気がする、点が問題ではある。
今なら「考えそのものは親切」ではあるが「他人のバウンダリー(境界線)簡単に侵害してる」と思える。
母はとにかく他人によく思われたい人だった。「ありがとう」を求めていた。赤の他人からですら。
そのために家族を手足のように使ったり、時には犠牲にしても厭わなかった。苦言を呈すと「はぁ?優しくないね!!」と非難された。
そんな人に育てられたのだから、私は自己犠牲を美徳としてしまった。
母に捺された「優しくない人」の烙印を消したくて「私が考える優しくないこと」ができなくなった。
時間も、労働力も、感情も、お金も、身体以外の大切な物なんでも必要とされれば提供した。相手が望んでなくてもだ。私が「こうしてほしそうだな」と思えば、勝手に世話を焼いた。そうしてたら周りは私を搾取する人ばかりになった。たまにまともな人が「そんなことしなくていいのよ」と言ってくれたけど、私が自己犠牲することで嬉しそうな人はたくさんいたし、優しい言葉を信じられなくなっていた私は「そうは言っても、こうしてほしいに決まってる」と決めつけて世話を焼き続けた。まともな優しい人は静かに離れていった。
他人他人他人で頭がいっぱいになり、自分のキャパなんて考えずに走り続けた結果、当然のようにプツっと切れた。
切れた後、何も残ってなくて絶望した。
搾取する人は利用価値がなくなった私なんてさっさと忘れて違うターゲットと楽しく過ごし、まともな人は遠く手の届かないところにいってしまった。
ACに気づくよりだいぶ前の話だが、何にでも口をはさむ人、でしゃばる人のことを「いっちょかみ」というのを知った。
困ったそぶりをする人がいたらすぐなにかしようとする私を関西出身の人がそう表現した。
続きます。