彼と私の境界線(後編)
続きです
先輩は少しクセのある人で、火がつくと急に上司を怒鳴り散らした。論点がコロコロ変わるし、言ってないことを言ったと決めつけて責めるので、文字通り「話にならなかった」。やってることモラハラだなぁと思ったが、逆に先輩は上司にパワハラされていると主張していた。上司は娘程の歳の差のある先輩に気を遣っているところがあると後に知る。
この「好意でやってくれてたのよ」を「好意であることに気づかず、甘えつづけたお前は愚か者だ」と言われているように感じてしまった。
それでまた「あぁ、私は先輩と違って頼っちゃだめなんだ。」「他にも好意でやってくれてることがあるかもしれないから、やれることは自分でやらないと。迷惑かけないようにしないと。」と思ってしまった。
これも深掘りすると、親に「お姉ちゃんなんだから」と妹のように甘えることを許されなかった事、「人様に迷惑をかけるな!」と怒鳴られ叩かれた事のトラウマが底にあると今思う。
どの職場でも同じような考えに行きつき、結局むやみやたらに人の仕事に手を出し、パンクして、カットアウトするように辞めてしまっていた。
今でこそ「了解でーす。(でもさ、上司の仕事じゃないなら最初から言っといてよ)」と思えるが、AC自覚前の私では無理だった。
ACからの回復を図る中で、境界線(バウンダリー)を知り、私はこれが自分に全くない事を自覚した。
自分に境界線の意識がないから、とても気軽に他人の境界線に侵入していた。
これも深掘れば生育環境に問題があったとわかったのだが、それはまた別の投稿で・・・。
「夫に柔軟剤の補充について確認する」という、とてもとても些細な事なのだけど、私は「境界線を大事にできたね!」と、自分を心の中で褒めている。
私は気を抜くとすぐ境界線が意識の外に飛ぶ。そういう風に40年近く生きてきたのだから仕方がない。猫背と一緒。意識しないとすぐ歪む。
だから些細な事から境界線を意識し、尊重し、実践し、成功体験を積み上げていく。これも「自分を育て直す」ことなのだと思う。