毒の牌
なかなか戻ってこない幼少の記憶。
「愛されていなかったかも」の「かも」を言い切りにして未練を断つために、どう育てられたかを思い出そうとしてたけど、「母は私のこと好きじゃないんだなぁ」とずっと薄っすら感じていたのを思い出し、もう、それで十分じゃないかと思った。
「不適切な養育」なんて言葉を知らなかった10歳前後の私が「母は妹のほうが大事そうだ」と思って生きてきた。(だから「両親が離婚したら私は父について行かされるんだろう」と思っていて、父を嫌いになることができなかった)
当時の私は自分を納得させるために、母が私を好きじゃない理由をたくさん挙げた。
世間一般に第一子に親は厳しいというから。
義母と夫に反対されて第一子なのに名づけができなかったから。
母は長男である伯父と仲が悪かったから「長女」という存在自体が憎いから。
生まれてすぐ死ぬかもしれない病気にかかった妹を私と違って一生懸命世話をする母を見た。
「お姉ちゃんなんだから」と何度も言われたけど、どれだけ頑張っても母の「お姉ちゃん」の基準をクリアできなかった私が悪い。
妹と遊んでいたら妹が泣き出して怒られたから、妹を泣かせた私が悪い。
「お手伝いしないなんて優しくない」と言われたから、優しくない人間である私が悪い。
「じゃあ〇〇ちゃんちの子になれば?」と言われたのは○○ちゃんちを褒めた私が悪い。
怒られて悲しくて涙がでたけど「泣くな!!」と言われたから、泣いた私が悪い。
なぜか怒った母にモノを投げられたけど、怒らせてしまった私が悪い。
なぜか急にスイッチが入った母に叩かれたけど、怒らせてしまった私が悪い。
なぜか「お前に与えたもの全部置いて出ていけ!」と突き飛ばされたけど、そう思わせた私が悪い。
なぜか正座させられ泣く私の前に包丁を置いて「sね!」と言われたけど、そう言わせた私が悪い。
、
、、
、、、、、、、
あーー
「証拠」、もう十分揃ってる。
思い出せないのは、思い出さない方がいいし、思い出せなくてももう「役満」ってことだろう。
これ以上、必死に閉じ込めた記憶をこじ開けて私は今より幸せになれるのだろうか?
もう、「そういうことだから。」と諦めて、前を向いて自分の人生を生きる方がよっぽど自分のためじゃないか。
余談だが、高校を卒業し、うまく立ち回ることができるようになると、岩月謙司先生の本で知った「家庭内ストックホルムシンドローム」その通りの心理状態になり、母と「仲良し親娘」となっていく・・・
これが私にACに気づくのを遅らせた。
が、生きづらさを抱えながらも壊れず「普通ぶって生きてこられた」のは、この心理状態のおかげでもある。
『娘の結婚運は父親で決まる: 家庭内ストックホルムシンドロームの自縛』
https://www.amazon.co.jp/娘の結婚運は父親で決まる―家庭内ストックホルムシンドロームの自縛-NHKブックス-岩月-謙司/dp/4140018712