汚実家に私を取り返しにいく(3)

汚実家に私を取り返しにいく(2)|コニモツ/アダルトチルドレン

の続き


ACを学んでつくづく思ったのだが、親はまったく境界線(バウンダリー)が引けない人達だった。
たしかに私たちは家を出た身ではあるが、こんなに荒らされて、意見しても聞き入れてもらえない。
俺の家だから俺の勝手?もう嫁いだんだからつべこべ言うな?
たまに顔を見せる娘たちがこの状態の自室を見てどう思うか、には思いが至らない。
こうやって幼少から今まで、大事な物をいくつも雑に扱われ、傷つけられ、壊されていた。

母の買った賞味期限切れ食品をこっそり捨てる私だって、境界線がうまく引けない人間だった。「どう考えてもゴミだから捨てていいでしょ」と母の課題を勝手に処理した。この「境界線を軽視する癖」が私を生きづらくしていたことのひとつだと、今ははっきりとわかる。

実家のモノは今も増え続けている。
今、実家にいくことがあっても極力玄関から先は行かないし、行ったとしても「見たくないので」見ない。
母は買い物依存症だろうし、父は「家事は俺の仕事じゃない」の考えの人なので明るい未来は見えない。長女の私はいずれどうにかしなくちゃいけない時が来るのだろうけど、今は私の課題ではないのでもう手を出すことはしない。
こう割り切れるまで私はずっと不安だった。「あの大量のモノとゴミどうするの?どうして親はどうにかしようとしないの?いざという時、私はどうなるの?」と。でも割り切ったら「ゴミ屋敷片付け業者さんという素晴らしいサービスが世の中にはある。もうあの家に私の必要な物はない。全部お任せしますと言えばいい。」と思えた。

ふと、全長30センチくらいのぬいぐるみのことを思い出した。幼少の私を支えてくれたクマのぬいぐるみ・・・。
大きな球体に手を入れ、風に舞うくじをつかむタイプの福引。遊園地の入り口にあり、一緒に行った子供たちみんなで親にせがんだ。その中で1等を当てたのは私だけ。園児だった私にとって大きく立派にみえたそのぬいぐるみをシロと名付けた。嬉しくて嬉しくてどこに行くにも連れて行った。もちろん寝る時も一緒。

当時、酔った母はよくわからない事で私を叱った。叩かれもした。「痛い!」というと「叩いた私の手の方が痛い!!」と言う返答を頂いた。物を投げてぶつける、出てけという、など「ギリ躾で通用する虐待」はあらかたされた。それが許されていた時代でもあった。
言い訳をするとヒートアップしたので私は口を閉ざした。そのうち黙っていても怒られるようになったので「正解」を探した。・・・このあたりは書き起こし済なのでいずれ投稿する。


続きます。
次で最後、たぶん。

汚実家に私を取り返しにいく(4)(終)|コニモツ/アダルトチルドレン

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