写真と言葉 (1)
写真で表現してるからといって 言葉で伝えるのをサボってました。
「言葉で伝わられへんもんを相手の心にズドーンと届けるのが写真や。」
ずっとそう思って写真やってきました。むしろ自分の写真について 言葉であれこれ解説するのはナンセンスだと思ってました。
しかし、世の中には人によって捉え方があまりに違うことが相当数あることに気が付いて、それからは少し意識が変わりました。例えば"SEXY"という感覚ひとつについても、男の僕にとっては"女性の魅力が存分に表されていて素晴らしいこと"と解釈していましたが、人によっては"ふしだら・お下品"とネガティブ要素しか感じないこともあるわけです。その人たちに自分の写真を観てもらっても残念ながらお互い不幸になるだけでした。
僕に何らかの興味をいだいて写真を観てくれる方々にも十人十色のバックボーンがあるはずなのに、それを全て無視して
「こちらはみなさんの好みとかよぅ知らんけど、まぁ観てって。ほんで各々お好きなように感じたってなー」
というのはちょっと責任放棄すぎるかなと思い始めました。せめて"観たい"と思ってもらえるイントロのようなものくらいは必要じゃないかと。
言葉でも写真でも、まったく誤解を生まないように伝えることは難しいことだと思いますし、とくに写真に関しては作者と完全に同じ解釈をしてもらう必要など全くありません。ただ、言葉を添えることで少しはこちらの意図がつかみやすくなるのであれば、それも"制作の一工程"として取り組むべきなのでしょう。少しこっ恥ずかしいですが自分語りに酔わない程度に文章を添える習慣をつけていこうかな、と思いました。
しかし、ここでひとつ大きな問題が。
続きは次回「写真と言葉 (2)」へ。
最後までお読みいただきまして ありがとうございました。