「80歳になっても作っていたい」 生粋のクリエイターは、金沢を選んだ。
Konelの中の人に突撃インタビューするSTAFF BLOG。今回登場するのは、プランナー/プロデューサー/デザイナー/エンジニア/映像クリエイター…すみませーん!名刺の肩書き欄足りないんですけど的なマルチクリエイター、白江崇志さん。2019年に移住した金沢でKonelと出会い、以来フリーランスメンバーとしてシビれるアウトプットを量産中。金沢でのクリエイティブのぶっちゃけ話、聞きました。
気づけば “ハシリ”なことをやってきた
―お疲れ様です。白江さんとちゃんと話すの、実は今日が初めてですよね(笑)。
そうですね。でも僕、Konelでしゃべったことある人そんなにいないかも(笑)。基本リモートだし、同じプロジェクトにいるメンバーとは密にやりとりしてるけど、それ以外はあまり。
―でも、社内で白江さんを知らない人いないですよ。何でもできて、引き出しがすごく多い人ってイメージ。クリエイティブの世界にはいつから入られたんですか?
僕は京都の大学出身なんですが、在学中に初代iMacが発売されて、これはカッコいい!と思って衝動買いしたんですよ。iMacと一緒に入門用の3DCGソフトも購入したんですが、これが楽しくて夢中で2日ぐらいかけてCGを作ったら、たまたま同じ大学のネット系の学生ベンチャーをやっているメンバーの目に留まり、一緒にやらないかと誘われて。それがクリエイターとしての最初の一歩です。その後Flashにも興味が出てきて、3DCGを使ったインタラクティブなコンテンツを作るようになりました。
卒業後は上京して、タッチパネル式のサイネージを作るベンチャー企業に入りました。今でこそ商業施設やオフィスなどでよく見かけるものですが、20年前なので当時はほとんど知られていなかったと思います。その後、映像・Flash・3Dなどのスキルを生かしてフリーになったんですが、この3つを同時に扱える人がまだまだ少なくて、当時ビジュアルを重視しつつあったゲーム開発分野で、大きな案件にいくつか関わることができました。なので一見順調だったのですが、一方でよく考えると社会人知識も乏しいし、自分から仕事を見つける方法もよくわからない。クリエイターとしてのスキルに頼って、何もしないままじゃヤバいぞという危機感はありました。
画像)ゲームのUIデザインリニューアルなどを担当していた
―それでその後は、会社に所属する時期が続いたんですね。
そうですね。社会人として一人前に生きていける知識と根性を身につけようと、その後はまた別のデジタルサイネージのスタートアップに立ち上げメンバーとして参加しました。入社した当時は電話の応対もできないような状態でしたが、勉強してコンテンツ部門のマネジメントを経験させてもらうほどになりました。その後は、新規事業として同社が立ち上げたオンライン動画編集サービスの開発や、その収益化のための企画に携わることになって。今だとTikTokなどで加工した動画がバンバン上がってますが、あの加工サービスの前身みたいなものです。当時から一般ユーザー向けに作ってましたが、まだ自分でクリエイトしようとする人が少なかったので、思うようには広がらなかったですね。
―出版社のCondenast Japanや、クリエイティブカンパニーのLoftworkにも在籍してましたよね。
Condenast Japanはちょうど会社が出版からデジタル化にシフトしているときで、GQ JAPAN、WIREDなど各媒体のEB、デジタルマガジン、映像など様々なプラットフォームの構築を担当しました。
前のスタートアップでもCondenast Japanでも、頻繁に役割が変わっていきましたが、そのおかげで新しいことにどんどん手を出すスタンスが確立されたように思います。「とりあえずやってみて、ミスってから考えよう」みたいな感じで。
だからLoftworkを紹介された時は、「プロデューサー職とテック職のどちらがやりたいか?」と聞かれて、やったことがないプロデューサー職の方を選びました。そこで初めて、これまでは誰かのビジョンを具体化するかばかりで、ビジョン自体を作ることの経験が全くなかったことに気づいて。ロジカルにゼロからビジョンや企画を組み立てていくことの奥深さと面白さを知ったのは、自分にとって本当に大きなことでした。
また、この頃から再びフリーランスとしても活動するようになりました。Loftworkではクリエイティブ職じゃなかったので、フリーの活動をすることでエンジニア・デザイナーとしてのスキルを忘れないようにするという意味合いが強かったです。なのでLoftworkが週4で残りがフリーというバランスでした。
―Loftwork在籍は2016年頃のことなので、パラレルワーカーがようやく増えてきた頃ですよね。働き方も世の中より一歩進んでます。
でも、パラレルに活動することにはデメリットもあって。クリエイティブの世界は変化が激しいので、別の分野で活動していると、また元の分野に戻ってきた時にけっこうなブランクができちゃうんですよ。だからLoftworkの時にフリーでも活動していたように、別の分野に行っても他のスキルを落とさないように最低限の練習は続けて、もし戻ってもどれぐらいがんばればキャッチアップできるかをある程度把握しながら活動しています。
あとは会社やクライアントに求められるままにやっているので、「そろそろこういうの求められそうだな」ということは事前に予測して準備しておいたりもしますね。
パパクリエイター@金沢の生活
ーそして2019年には金沢に移住されました。なぜ金沢だったんですか?
僕の実家が金沢に近かったのと、奥さんが大学で金沢の研究をしていたこと、それに東京にも3時間程度で行ける場所だということで、いつか移住するならこのあたりがいいなという思いはありました。そんな中、金沢でお世話になっていた建築士の方から「良い町家があるよ」と紹介してもらって。実際見に行ったらとても良いところで気に入ってしまい、勢いで引っ越しました。
画像)リノベーション中の町家
―東京から金沢の町家に移住かぁ。絵に描いたような素敵ライフ・・・。
それが、ほとんど金沢を満喫できてなくて。金沢はコンパクトな街なので、徒歩圏内にたくさんの観光スポットがあるんですが、取引先に行く途中に茶屋街を横目に見るくらいで、それ以外は全然(笑)。基本インドア派だし、家で仕事してるからずっと篭ってますね。
―えええ、もったいない!金沢は楽しい街なのに。
1歳半の子供がいるので、今は子供中心の生活をエンジョイしていて、あまり外に出る必要を感じないんですよ。コロナ渦でますますstay homeな流れなのもありますし。僕の一日は、7時ごろに起きて子供にごはんを食べさせて、8時半に保育園に送っていったら仕事、17時に迎えに行ったら寝るまで一緒にいて、22時ぐらいからまた仕事、という感じです。
―今は子育てメインの生活ということなんですね、それも素晴らしいです。そういえば、白江さんのメリハリあるライフスタイルを見習いたいって、Konelのパパ社員が真似してましたよ。
そうでしたか。良い影響を与えているなら良かったです。
東京&金沢のクリエイティブ事情
―Konel金沢にはどんな経緯で関わるようになったんですか?
東京での案件もいくつか持ったまま移住したんですが、せっかく金沢に来たんだし、地元の企業とも仕事したいなぁと思って探していたら、行き当たったのがKonel金沢でした。
代表の宮田さんと話して、なんだか面白そうなことをやってる人たちだと思って、フリーランスとして参加することにしました。今はKonelの案件3割、別のもう一社の案件4割、残りがフリーの案件、という割合でやっています。
―Konel金沢に在籍して良かったことはありますか?
はじめの印象そのままで、とにかく面白い案件が多いということに尽きます。ハードからソフトまで多くの要素が絡み合った、他ではなかなか出会えないものがいっぱいで。最近僕が担当したものだと「OPEN MEALS」は面白かったですね。プログラマ・エンジニア・デザイナーの中間的なスキルを求められるものでしたが、そういうものがやっていて楽しいです。
画像)「OPEN MEALS」の一環である、気象データを元に3Dプリンタで和菓子を作る「サイバー和菓子」
―金沢のクリエイティブ事情についても聞きたいです。東京での制作環境と比べて何か違いはありますか?
リアルな話、地方と東京だとクライアントの予算の桁が違う、みたいな話は聞きますね。だから地方の制作会社やクリエイターでも、東京や大阪などの大都市圏との仕事の方が多いんじゃないかなと思います。自分も結果的にそうなっていますし。
―そうなんですね。金沢って地方都市の中ではデザインとかクリエイティブに理解がある街というイメージがありますが、実際はどうですか?
ビジネスとしてのクリエイティブに関しては、地方ではまだまだ大都市と同じようにはいかないのかなと思いますね。より良い企画にしたいと思って、「こんなことしませんか?」みたいにクライアントに話してみても、「タダならやってみても良いよ」みたいな感じで終わっちゃうこともあったので、東京と同じ感覚では臨めない部分もあるかもしれません。
そんなこともあって、最近は東京でも金沢でもなく、インドのスタートアップのプロジェクトに参加したりして、ちょっと違う軸を考えたりもしてるんです。文化・言葉含め何もかも違うし、国内だと意識しがちな年齢や性別などの先入観からも自由になるのでなかなか面白いですよ。
目指すは80歳のクリエイターが活躍する世界
―クリエイターとして最近気になることを教えてください。
年齢を重ねるにつれて、自分が面白いと思うことをできるだけ長く、70歳・80歳になっても続けるにはどうすれば良いのか、ということを強く意識するようになりました。クリエイティブ業界は特に世の中の流れに敏感な業界なので、やっぱり若いということが重視されて、年齢が上がるにつれて面白い仕事のパイは減っていってしまうんですよね。日本のキャリアって現場→マネジメント→経営みたいに一方通行なことが多いから、年齢が上がるほど選択肢が狭くなっていく。でも人はそれぞれ、子供が産まれてライフスタイルが変わったり、移住したくなったり、病気や介護で今まで通り働けなくなったりして、そのキャリアのレールに乗れなくなることが起こり得るじゃないですか?加齢もその一つですが、そういう人生の転換期に、決まったレール以外に選択肢がなくて可能性が絶たれるのはすごくもったいないと思うんです。
だから、長い人生の中でどんな時も自分自身に大きな可能性を感じながら生きていけるよう、そのための方法を探りながら活動しています。
―皆がどんな時も可能性を感じられる世界、良いですね。白江さんみたいなスタンスのクリエイターが増えたら未来は明るいなと思いました。これからもよろしくお願いします!
こちらこそ。毎年1回面白い企画に出会えれば、80歳までにあと40回ぐらい面白いことが出来るんですよね。Konelならもっと多くできるかもしれないなあと思います。たとえば趣味でちょくちょくゲームを作っているんですが、引退したらシニア向けのものを作ってみたくて。そのころはゲームに親しんだ人たちもみんな老人になってるから、すごく面白い市場になっているんじゃないかと思います。
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聞き手:丑田美奈子(Konel)/撮影:宮田大
Konelライター/知財ハンター/<オノマトペのおやつたち>プロデューサー。秋冬シーズンのキャンプと、その帰りに行くスーパー銭湯が好き。
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