競争中毒の“社会的な”問題
少し前の放送になりますが、木下斉さんのVoicyで「競争中毒」の問題を取り上げていました。
放送では「競争中毒」が個々人にもたらす影響について触れていましたが、この問題、個人だけでなくて社会に対しても多大な問題を引き起こすよなぁ…と思ったので、そのことを書いてみようと思います。
「勝たなければいけない」からの「勝ったことにする」
「競争中毒」の件を思いだしたきっかけは、今話題のこちらのブログ。
営業成績や売り上げなどの勝ち負けが明瞭な厳しい世界がある一方で、世の中には、勝ち負けが今ひとつはっきりしなかったり、勝ち負けを決めるのがド素人…という、恐ろしい世界もあります。
そうなると勝ち負けに拘る「競争中毒」者が何をしだすかというと「勝ったことにする」「成功したことにする」。そして自分が勝てる土俵を探した結果が、「ド素人を騙す」にまで発展する可能性も。そこまでいかなくても、どうみても当事者からみた失敗プロジェクトを成功したことにされてしまうと、反省して改善していくことがとても難しくなってしまう。個人単位でならまだしもプロジェクト単位でやられると本当に被害甚大で、その結果、社会としても停滞してしまう。
評価されないことはやらない
さらに自己評価を外部に依存し、常に評価されることしかやらない「競争中毒」者が増えると、評価されないことはやらない、という人が増えてしまう。
世の中には万能な評価軸は存在しません。どんな評価も大切なものを取りこぼすし、また昔は価値のあった評価軸も、時代とともに陳腐化します。
難しい漢字が書けるとか、暗算が早い、とか今は意味をなさないですよね。
明瞭で誰もが納得する「評価」を求めてみんなが行動してしまうと、評価からもれた必要な仕事に取り組む人が減って、世の中は動かなくなってしまうと思います。
あと明瞭で誰もが納得する「評価」が得られる場所って基本的にレッドオーシャンなんですよね。みんなで血の海に飛び込んで疲弊してる集団って…レジリエンスなさそうですよね。
そんなわけで社会は評価されない人によって成り立っている。感謝。
※科学技術の話題に関しては日本の政府が仕込んだ「競争」が巻き起こした状況だと思います。どうしたものやら。
(どうでもいい)私の中毒度合い
そういう自分は今、全然「競争中毒」じゃないです。毎日幸せ。
けど、凄く「勝ち」に拘った時期もありました。めっちゃ疲れた。
子供を産んでしばらくしてから、確実に「これは勝てない」と思ったことが、競争から距離を置けた理由のような気もします。ありがとう、子供たち!
会社が用意した軸を少し離れて、できることを模索しようと頑張るのも、楽しいものですね♪
やっぱり私には「勝つ」より「楽しい」が大事!