スピーチの方法を決めるものさし(はじめに)
「書いたものを読んでもいいのですか」
話す原稿を作成する職種、スピーチライターとして仕事をする私がほぼ毎回のようにクライアントから聞かれる質問です。
世の中のスピーチの専門家の中には、
「どのようなスピーチであっても、書いたものを読んではだめ。結婚式のスピーチでもそれは同様」→(なら、紙を読み上げているスティーブ・ジョブズの『伝説のスピーチ』はどう説明するのか。そのような人物ほど自分の主張に箔をつけるために自己流のジョブズ論を得々と語っている)
「スピーチとは、何も見ずに語りかけるスタイルのこと。書いたものを読むスタイルはスピーチと言わない。」→(「スピーチプロンプター(字幕が流れてくる透明の板)」の存在をどう説明するのか。読むスタイルがスピーチでないというなら、なぜ、「スピーチ」プロンプターなのか。現実にスピーチという言葉として社会で運用されている「事実」を無視した「判断」など論理破綻と言わざるを得ない)
という「珍説」を展開している人もいます。
「スピーチ」には、書いたものを「①読み上げるスピーチ」と、いわゆる演説「②(語りかける)パブリックスピーチ」の2種類がある。
さらには、
「この2種類は一長一短があり、どちらが良いも悪いもない。人間関係を取り巻く『リスクとリターン』の要因をはかりにかけ、適切に選択するのが正しい運用である」
スピーチをこのように理解すれば、「スキルを提供する側の都合」に振り回されることなく、現実社会で言葉を上手く運用することができるのではないでしょうか。
今回、数学でいうところの「ゼロ」すなわち、「沈黙(話を避ける)」も「スピーチのスタイル」の一つであるという概念を加え、「どのような基準、どのような考え方で話すスタイルを決めれば良いのか」という「ものさし」を考案しました。それが冒頭で示した図になります。
この「ものさし」を用いれば、
・「選挙演説を行う場合」でも、
・「物の販売を行うプレゼンテーション」でも、
・「1ヶ月に3人の部下の結婚式スピーチを行う場合」(仕事の能力、人間性や立場も様々)でも、
・会社の商品に健康被害が生じ、「謝罪の記者会見の冒頭で話す声明文」においても、
・「講演に招かれ中学生の前で話す場合」においても、
・いわゆる「荒れた成人式」で挨拶をしなければならない場合
においても、適切に「話す方法」を選ぶことができます。
次章以降において、A~Dそれぞれの状況において、「話す方法」を選ぶ根拠と運用法について説明します。
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