見出し画像

情報に飢える状態を如何に意図的に創るか

お腹がすいている時が一番、ご飯がおいしい。
どんなにグルメな人でも、腹いっぱいの時には本当の感動はないと思う。

私の世代以上は、結構質素な食生活で子供時代を過ごした人が多い。だから今でも、時々、質素な食事をすると、この上なく味わい深いし、食べている実感がある。もちろん、空腹のときに限るが・・

人間は、食べ物だけでなく、全てにおいてそういうところがある。
贅沢と言うのは人間が本能的に持つ欲が源だから際限がない。より良い刺激を求めて達成したらまた次の刺激を求める。

だから、私はグルメ的な美味しいものは、時々、食べていれば良いと言うタイプである。

これと同じように情報に飢えることを考えてみる。
今、情報過多の時代である。
情報の洪水に翻弄されている人は増える一方である。

ふと考えてみた。
情報がなくて困っている人がどれだけいるだろうか?

今どきの日本でイメージしてみる。
国民のほとんどがスマホか携帯電話を持っている時代。私のように、スマホとガラケーを2種類持っている人は減ってきたが、ガラケーだけだと、今ネットの世界で溢れている情報へのアクセスはやや困難だと思う。

とはいえ、テレビのチャンネルをつければ、ニュースやワイドショーから今日の出来事や流行の話題は溢れている。
だから、田舎のおばあちゃんが、今でもテレビしかなくても、生活に不自由しないのである。

私は、以前のブログでも“知れば知るほど知らないことを知る”と書いた。
好奇心に任せて、情報の探求をつづけると無限の世界に突入する。今は、20年前に比べて、その検索のスピードがとても速い。
今のような時代には、情報を求めていくと、次々と関連の情報を発見することができる。

ここ1年の私も、海外などの活動が減った分、ネット上での活動が劇的に増えた。
これは、情報に飢えることが極めてなくなってきている状態だ。
人は沢山の情報に精通すればするほど、情報感度は鈍っていくのでは?最近、こんな危機感が芽生えだした。

要約すると、現代は、あふれる情報に振り回されて、ストレスが増大し日常生活や仕事に悪影響が出やすい環境である。
私のように、仕事柄もあるが、その情報の洪水に自ら突入していても余計に思うが、情報に飢える状態の方が感性は研ぎ澄まされるし、考えるスキルが高まるのではないかと思っている。

便利過ぎてそのありがたみや、マイナス面が見えなくなるように、探す情報が今はどこででも何らかで見つけれる時代である。
私は子供も大人も情報に飢える状態から学ぶことも必要ではと思う。
一つは昔の人の行いや思想に学ぶことだと思う。
その時代の情報は、今に比べてれば、あまりにも少なかったと思う。

一つ一つの情報が、自分の生死にもかかわっただろう。自然と、情報の真偽を見極める力は研ぎ澄まされる。それが情報感度が高い状態だと思う。

もう一つあるとしたら、食事で言えば、断食をすることだと思う。
情報を断つ環境を自ら創り出し、その環境下で情報の感度を磨く。
そうすると、自然と向き合うこともできるし、そもそも生きるとは何かの新境地が開けるような気がしている。

画像1


以上