滋賀の高島との出会いで想う事
1年は早いものですね。
最近、この季節になると、お会いする方々との私の定番トークになっている。
実は、今年は、滋賀とのつながりが一気に加速した年でもあった。滋賀は歴史的にも偉人や文化人の排出場所としても有名である。
ところで、中江藤樹のことを知っている日本人は今、どれぐらいいるのだろうか?
ウィキベディアによると、
中江 藤樹(なかえ とうじゅ、1608年4月21日(慶長13年3月7日) - 1648年10月11日(慶案元年8月25日))は、近江国(滋賀県)出身の江戸時代初期の陽明学者。近江聖人と称えられた。諱(いみな)は原(はじめ)、字は惟命(これなが)、通称は与右衛門、藤樹と号した
江戸時代初期の思想家である。
そういう私も、詳しく知ったのは1年前の事である。人との縁はそもそも偶然で、袖すり合う中にも多生の縁という言葉もあるように、いつだれにどこで出会うかは分からない。お互いに出会った瞬間が最高と思える人と出会いたいのは誰しも同じだろう。また、そう思えるように日々、懸命に生きて前向きでいたいとも思う。
最近、特に思うようになった。
これは今、ご健在の方だけではない。
歴史上の偉人や最初に井戸を掘った人や学びの祖である人など、過去の素晴らしい人が世の中には沢山存在するが、そういう人たちとの出会いも、これまた、偶然であり必然である。
実は、去年から、滋賀県の高島にとても関心を持っている。
もちろん、同じ関西という事で、学生の頃は、日帰りスキーに頻繁に出かけた場所であり、また、金沢に出張の際の特急列車サンダーバードの路線でもある。以前から何かと、琵琶湖の湖西にはなじみがあった。
そんな中、1年前からになってにわかに私の関心の高い場所になった。
一つは、自然産業研究所という会社を運営しているご縁だ。自然産業研究所の本社は今、大津市にある。この琵琶湖を舞台に、日本の自然産業の普及と発展を目指して、活動している。
もう一つが、農業の場としての高島だ。
こちらは、今、ブレインワークスで推進しているブレスタ活動の一環だ。
日本の地方の縁があった各地に、ワーケーションスポットを開設している。その一環で農業を中心とした第一産業の実践の場として活動を推進してきた。琵琶湖周辺の適地を探す中で、高島が最適と判断した次第である。
世の中よくできたもので、私が高島にまつわる情報発信をしたり、話題にしたりすると、高島ゆかりの人のつながりがとんどん見えてきた。
そういう流れの中で、高島と言えば、中江藤樹を知らずして、というお話を複数の方から頂いたわけである。
先日、近江高島の駅前近くの歴史のある旅館に宿泊した。まさしく、中江藤樹が生まれた場所のすぐ近くだ。琵琶湖の中に鳥居がある白髪神社も近隣にある。
早速、良知館や藤樹書院などを訪ねてみた。
まだ、これから学びの途中であるが、二宮金次郎、吉田松陰、渋沢栄一など、私が日頃から関心がある人物とのつながりが見えてきた。
私も含めて、日本人は日本の事を意外と知いない。欧米の思想家や哲学者の事は知っていても、日本人の思想家の事はあまり知らない。
今私が関心を持っているのは、心学である。
これからの日本は、温故知新。
自分たちの国の古き時代からの良き考え、行動規範などを学ぶことの大切さに改めて気づく。これからの高島での活動がますます楽しみになって来た。
以上