いつか行ってみたかった、とても身近な島の話
一昨日の話なので、まだ体に余韻が残っている。
私は、たまたまの巡り合わせで、知人数人で淡路島の沼島を訪れた。
しかも、私の滞在時間はたったの3時間半。
一体何のために行ったのと言われそうだが、沼島の紹介は後半に書くとして、私とってのこの島はとても深い意味があるのである。
私の出身は、徳島であることはこのブログにも書いてきた。
簡単に説明すると、太平洋と大阪湾をつなぐ紀伊水道という大きな海がある。
地理学的には、海ではないと思うが、私にとっては物心ついた時から、大きな海だった。
私の実家は、紀伊水道と吉野川が交わる角っこにある。いわゆる下流域だ。
私の実家から歩いて数分で紀伊水道に面している小松海岸が広がる。
子供の頃は、毎日のように海岸に出かけた。
水泳、砂遊び、魚釣り、貝採り、焚火に焼きいも・・。およそ海岸でできることは全てした。だから、今でも山は嫌いではないが、どちらかと聞かれれば、断然海と答える。
自然の中で毎日を過ごした感覚は今でも私の原体験として体に染み込んでいて、今の歳になって自分の人生を振り返ると、この原点に沿って生きてきたことを実感する。
これは、この先も変わらないと思う。こういう感覚で、ベトナムやアフリカなどの新興国と関わることが何よりも楽しい。
実は、もう一つ、この小松海岸には思い入れがある。今は、多くても1年に数回しか実家には帰らないが、帰るとほぼ必ず、小松海岸に立ち寄る。長くても30分、短い時だとほんの数分。それでもここを訪れないと気が済まない。落ち着かないという感覚かもしれない。
感覚的なものだから、行く目的は説明するのは難しいが、一つは、自分の子供時代を思い出しに行くという感覚だ。
そして、もう一つは、この素晴らしい雄大な景色を単純に眺めるためだ。出来るだけ、朝日のタイミングを目指して小松海岸に行く。
海岸から眺める風景は、その都度変化するので、一概には伝えることはできないが、先ほど書いた多様に、眼前には大きな海が広がっている。
太陽との関係で、遠くまで視界が開ける時、海の向こうには和歌山の山並みが見える。右手には、徳島の南東部の海岸線が視界に入る。その先は太平洋とつながる。子供ごころに、太平洋を創造してワクワクしていたものだ。
そして、左斜め前には、とても大きな陸地が見える。その陸地が淡路島であると知ったのはいつの頃からだろうか。
小学生になって、地理を習った頃かもしれない。
日本でも有数の島である。
ここまで、おおよその小松海岸からの風景を描いてみた。沼島は実は、小松海岸から一番近くにある、小さな島で、風景を眺めると間違いなく視界に入る。物心ついたころからだから、私は50年以上、沼島を見続けてきたことになる。
ここ数年前から、仕事の機会で淡路島を訪れることも増えてきた。そうなると、いつか行って見たい沼島がとても近く感じるようになった。親近感に似たようなものだ。
年末、今回一緒に沼島を訪れた面々と淡路島の話で盛り上がった。
その場で1月26日、沼島集合に決まった。
私にとって、とても近くて遠い沼島に乗りに近い感じであっさり訪問することになった訳である。
淡路島からフェリーでたった10分の沼島。上陸気分に心が躍る訳でもなく、たんたんとしたものだ。船着場で私達を出迎えていただいた遠藤直子さんとのつながりが生まれた。全く、不思議な巡り合わせだ。
遠藤さんは都会から家族で沼島に移住している。彼女が取り組む、沼島100年計画〜SDGs実現委員会〜の活動がとても興味深い。
これから、沼島との付き合いが深まりそうである。私にとっては人生の楽しみが増えた。できるだけ早く沼島を再訪したいと思っている。
以上