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ミイラ展に行って思う事

自社のオフィスから歩いて3分のところに神戸市立博物館がある。
最近、ときどき足を運ぶようになった。
2月ごろから気になっていたミイラ展に、ようやく行った。
開催期間は約3か月あったのだが、近くにあるとついつい、いつでもいけると思ってしまう。
気づけば、最終日の前日になっていた。
そんな訳で、ちょっとワクワク感と焦り感で、先日の土曜日にミイラ展を観賞した。
閉館間際の夕方にいった関係で、約40分程度だったが、十分すぎるほど感じたこと、考えたことがある。
もし、時間があれば、数時間でも眺めていたいという気持ちもある。それは、もっと、このテーマを学んだ後に、本場イギリスの大英博物館に楽しみは取っておこうと思う。

パンフレットの案内にはこうある。引用すると。
“大英博物館から6体のミイラが来日します。CTスキャンを用いた画像解析によって、ミイラの謎を解き明かし、古代エジプト人の生活や文化を紹介します。展示される6体のミイラは、年齢や性別、社会的立場や暮らしていた時代も様々です。彼らはどのような人生を送ったのちにミイラとして残ったのか・・・“

出だしを読むだけで興味津々だ。
実際訪れてみて、人類の凄さ、不思議さ、それと数千年を越えた必然のつながり、そして人間のすることは、未知に満ちている。こんな深い境地になった。
私なりにシンプルに紹介する。
エジプトと言えば、ピラミッドとともにミイラの存在は皆が知っている。私はエジプトに行きたいとは以前から思いつつ、いまだにその機会はない。ナイル川流域に展開した古代文明に、改めて興味が高まった。
博物館には、ミイラそのものが、目の前にある。これを解体して調べたのではなく、最新テクノロジーで驚くような内容が解明されていた。
CTスキャンで読み取ったデータを画像解析技術によって、立体的に再現。
身長や特徴はもちろんのこと、どういう病気で亡くなったかの推定、装飾品の再現とその持つ意味合いの推論。今生きている私たちからすれば、こういう技術を駆使することができることは、驚きではあるが、予想の範囲とも言える。

私が何より思ったこと。
古代エジプトの特別な人達は、先々で生き返ることを願って、ミイラ化したと言われている。
その行為とその結果生まれたミイラとその周辺の遺物が、数千年先の自分たちの子孫への強烈なメッセージとして伝わる。この事一つ考えても、人類の歩みの歴史と、伝承するとは何かを考えさせられる。
意図したかどうかは別として、結果として、現代のテクノロジーや科学技術の進化があればこそ、考古学も劇的に精度が高まった。
きっとこれは始まりに過ぎない。もちろん、こういったミイラや遺跡は、物理的に残存しているからこそ、出来る事ではあるが、今後の事を考えると、こういう重要な情報やミイラから知ることが出来る古代エジプト人の生活様式や社会がデジタル化され、今度は永久的に伝承される。
結果的には、こういうバトンが未来の人類に渡されている中継点にある現代。

その一方で、例えば、数百年前までは残っていて、今は消えてしまった遺跡や歴史を語るものは沢山あっただろうと思う私。そう考えると、人類が繰り返してきたことは、やはり、偶然の必然としか思えなくなってくるのである。

以上