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顧客としてクレームを言うときは心のバランスが大切

今、当社ではアジアのビジネスパーソンに向けて、“サービスとは何か? 顧客満足度の向上の秘訣(仮)”なる書籍を鋭意製作中だ。

既に周知の事実となりつつあるが、アジアでは国別の温度差はあるとはいえ、いわゆるサービス業が発展しつつある。

どの国も、総じて消費者の購買力が右肩上がり。

それに伴い、会社や店のサービスに対する要求レベルも日増しに高まっている。

日々、ベトナム人経営者と関わっていると、このことがひしひしと
伝わってくる。

前回のブログでも書いたが、
“日本の顧客を満足させるサービスの実現”に真剣に取り組み出している。

顧客満足の向上の支援ビジネスは当社の専門分野のひとつでもあるので、私には“サービスとは何ぞや?と意識して考察する”習慣が身についている。

しかし、厄介なことに仕事を離れた場でも意識の中に常にあるのだ。

つい先日も、タクシーの迎車を頼んだ際に、タクシー会社にクレームを申し立てた。
やりとりはこんな感じだ。

私:タクシーを急ぎでお願いしたいんですけど、いつもの場所で。
相手:わかりました。10分から15分ぐらいでお迎えにあがります。
私:お願いします。ただ、急いでいるので、15分超えるようなら
   事前に電話ください。

相手:承知しました。

ところが、15分過ぎでもタクシーは来ないし、電話もない。

そこで、「どういうことですか?電話がないですよ」と電話で問うと次のように述べるではないか。

「申し訳ありません。これから時間のことは約束しないことにします」

この日は、ここで自分にブレーキをかけた。

別の日だったら、もっと突っ込むところだが・・・。

まあ、その5分後にタクシーは来たから良かったのだが、急いでいたこともあってカリカリしていたのは事実だ。

こういう時は、毎回、後になって、自問自答することが多い。

本当に、1人の消費者の視点、感覚でクレームを言ったのか?

いや、もしかしたら、仕事目線で必要以上のクレームを言ってしまっているのではないか?

例えば、新婚の奥さんが愛情たっぷりの食事を旦那さんに作ったとしよう。

この旦那さんは、一流のコックが仕事。

自分の料理の感覚から比べると、明らかに劣る出来の料理だった場合、この旦那様、一体何と言うだろうか?

愛情があれば、“きっと、おいしいよ。”と、言いながら食べることだろう。

この例えは、少々飛躍しすぎかとは思うが、何かに特化して専門家になっていくということは、その分、使い方を誤れば、人を傷つける凶器にもなってしまうのである。

ふと、そんなことを思いながら、クレームを言ってしまった後に反省している。

自分がホテルのサービスに対して文句を言いたくなる時に、もし、自分がホテルの業界で同じように仕事していたらどうだろうか・・・。
『同じ穴のムジナ』ではないが、相手の立場も、どうしてミスをしたのかも分かってしまえば、そんな必要以上にカリカリすることもないと思う。

アジアに行けば、尚このことが良く分かる。

ほとんどの日本人は、初めて東南アジアに訪れると、日本とのサービスの差に嫌気がさす。

ホテルでも、レストランでも、タクシーでも・・・。

ところが・・・。
長い間、アジアの生活になじんでくるとそんな感覚が薄れてくる。
それはなぜだろうか?

諦めてしまうということも少しは有る。

本当のところは、相手の立場やどうしてそうなのかという理由が少しずつ分かってくるからだと実感する。

毎日、日本で誰かにクレームを言いたくてうずうずしている方は特に気をつけたいところだ。

自分目線で考えるだけではなく、相手がどうしてそんなことをしたのか?

こんなことを、ふと考えてみる習慣が、アジアと共存するために必要だと
つくづく思う。

(本記事は、ブログ「近藤昇の会社は社会の入り口だ」に、2009年5月8日に投稿したものです。)