情報共有化は“知的な作業”というより“感情の共有”
前回のコラムで私は「中小企業には中小企業なりの情報共有化のスタイルがある」と述べた。グループウエアなどを使って社員同士・部門同士「ヨコ」の情報共有を図るのも結構だが、中小企業で優先しなくてはならないのは、すべての経営情報をトップに集め、トップの経営判断を支えることだ。つまり「タテ」の情報共有の実現である。そうして集められた情報はトップによって「熟成」され、社員の元へフィードバックされて「活用」される。こうした情報の流れを作ってこそ、中小企業にとって本当に必要な情報共有化が実現するのだ。
最近、懇意にさせていただいている中小企業の経営者からこんな質問を受けた。「近藤さん、あなたのように普段から講演をしたりいろいろな著作を発表している方は、そんな知的な作業が苦もなくできるんだろうけれど、私たちは現場や得意先を駆けずり回っているんです。『情報の熟成』なんて難しいことをやっている時間なんてないんですよ」・・・。
一見もっともらしく聞こえるが、ここには大いなる誤解がある。情報共有化があたかも“知的な作業”という思い込みである。そうではない。これはきちんとした経営をしている中小企業なら、無意識のうちにやっていることなのだ。それをITツールを使ってもっと集中的、効率的にやろうと提案しているだけの話である。
今回は情報共有化をする上で経営者が果たすべき役割について、もう一歩踏み込んで考えてみたいと思う。
●「時間がない」かどうかは気構えの問題
くだんの経営者が指摘する「情報の熟成は知的な作業」というのは本当か。これはちょっと想像してみれば、すぐに「そんなことはない」と気づくだろう。その経営者だって、さまざまな局面で経営判断を下してきたはずだ。その拠り所となったのは何か。社内外からあがってきた「情報」である。そして、その情報があいまいなものだった場合、経営者は社員を呼び、これこれのポイントについて調べてつなぎ直すよう指示するだろう。そしてさらに経営者の関心にマッチした情報があがってくる・・・この一連のプロセスが「情報の熟成」に他ならない。つまり、普通に会社を運営している以上、意識する・しないにかかわらず、経営者は必ず情報の熟成作業を行なっているのである。
では、「時間がない」というのはどういうことか。これは、気構えの問題だろう。もし経営者が本気で「情報共有化」を実現したいと思っているのなら、社員から寄せられた情報は万難を排してもチェックしようとするだろう。忙しいのなら、メールをプリントアウトして移動時間に目を通せばいいし、返信は電話での指示に代えればよい。工夫一つでどうにでもなるものだ。「時間がない」とは「社員からの情報など、さして必要としていない」ことの裏返しでしかない。
それに、情報熟成のプロセスは、社員育成にもつながることを忘れてはならない。社員から寄せられた情報にトップがコメントを返すことで、社員はトップが必要としている情報とはどんなものか、自分の認識、行動をどう修正すればよいかが分かってくる。これは「先輩を見て覚えろ」という放任主義のOJTより、はるかに効率的な社員研修になる。この意味でも、経営者は社員との情報のやり取りを疎かにしてはならないのだ。
とかくITというと、「難しいもの」「敷居の高いもの」という印象がつきまとう。そしてITを使うことは何やら高度に知的な営みのような錯覚がある。システム業者が好んで使う「ナレッジ・マネジメント」などという横文字の抽象語が考え違いを増幅する。これは大いなる誤解であって、中小企業がIT導入に失敗する理由の多くは、この認識違いに由来すると私は思っている。
過去の当コラムで何度も触れているように、IT導入を成功させる鍵は、社員のモチベーションを高め、社内にそれを受け入れようとする企業風土を作ることにある。それは「経営者の知性」などで高められるものではない。経営者の「組織の風通しをよくしたい」「それによって、もっと自分が考える会社の方向を周知徹底させたい」という、泥くさい熱意とリーダーシップによって実現されるのである。
ITは、それを受け入れる土壌のないところには決して根付くものではない。この土壌作りこそ経営者に課せられた仕事であり、経営者がその役目を十分に果たせてこそ、「情報の集中」→「熟成」→「周知」→「活用」という情報活用のサイクルも順調に回り出すのである。
●経営者に求められるのは、第一に「感情の共有化」を図ること
「ITによってこれだけ便利になる」「情報の共有化で業務の効率化が実現する」とアナウンスし続けるのは、たいていは役に立たない。ずっと続けてきた仕事のやり方を変えることに社員は抵抗があるものだし、「会社の業務効率化」などという抽象的なお題目では、利益誘導にもならない。
経営者に求められるのは従業員を「共鳴」させることのできるリーダーシップである。往々にして、こうした「感情の共有化」を図ることのできる経営者は、日頃から社員とのコミュニケーションをよくとっている。自分のビジョンを語るだけでなく、社員の話もよく聞いている。社員が何を見て、何を考えているのかをきちんと把握している。そして、自社のビジョンに対して、個々の仕事がどのように貢献しているのかを社員に考えさせている。そうしたすり合わせを通じて従業員の判断力も育ってくるし、経営者と社員の視点が同じ方向を向いてくる。
また、仕事ベースのやり取りだけでなく、社長が社員の性格、長所・短所を把握して冗談を言い合ったりしている。そうしたユーモアを交えながらも、会社が与えたミッションに対する成果は厳しく求める。このバランスが実によくとれているのだ。IT化に成功している会社は、IT導入以前にこうした「感情の共有化」を日常的にやっているところが多い。私がよく「アナログに強くなければIT化はできない」と言う理由はこの辺りにある。
ITツールはつまるところ、作業を省力化する道具にすぎない。電子メール、グループウエアといっても、所詮は電話、ファクスの延長線上にあるものと考えてほしい。それを使いこなす経営者が「社員とともに人間の集団として成長していきたい」と考えるか、「従業員は所詮は使用人。オレの言うことだけ聞いていればよい」と考えるか、その思いの差が導入の成果を決めるのである。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば、人は動かじ」…この警句は中小企業のIT化において特にあてはまる。その労を惜しむ経営者は、情報共有化など考えない方がよい。
(本記事は、「SmallBiz(スモールビズ)※」に寄稿したコラム「近藤昇の『こうして起こせ、社内情報革命』」に、「第37回 情報共有化は“知的な作業”というより“感情の共有”」として、2002年11月19日に掲載されたものです。)
※日経BP社が2001年から2004年まで運営していた中堅・中小企業向け情報サイト