“農業”は実に奥が深いし皆が学ぶべきこと
最近、“農業”にハマっている。
私が関わっている自然産業研究所で農園を始めたこと、アグリスマスターズという農業そのものを一般市民にも身近なものにする活動を中心とした新会社も昨年末に創った。
そして、農業に関係する知見を得るために、農業関係者との交流や意見交換もいつにもまして頻度が上がっている。特に有機農業の経営者や匠の方とお話すると、農業の奥深さに気づかされる。また、農業関連する書籍も10数冊入手した。
そして、農業検定なるものも見つけたので、さっそく、12月に受験した。
こんな感じで、私の日常は、農業が中心と言うかビジネス活動の基盤になった。
私は、何度もこのブログでも書いてきたが、農家生まれ農家育ちである。18歳までは、専業農家の次男として過ごした。両親の農業を見ない日はなかった。
私の人生の原体験であることを農業に関われば関わるほどに再認識している日々だ。
一方で、私の場合、自分の体験からくる関心と興味の範囲でしか農業を分かっていなかったことにも気づいた。特に最近、私がとても触発された本が2冊ある。
今回は、その話をしたいと思う。
2冊の本のタイトルは、
“農は万年、亀の如し”、“農家が消える”
である。
タイトルからして興味をそそる。
実際、読了して、想像以上に本の内容が充実しているのは言うまでもないとして、私自身の農業に対する考え方や価値観が大きく進化したと思う。
2つの本の共通事項を先に書くとすれば、やはり、人間は農業とのかかわりなくしては生きていけない。
当たり前と言えば当たり前なのだが、都市化の進展、工業化へのシフト、少子高齢化などが複雑に相まって、農業と接する市民が日々減少している。日本人が農業を知らない。農業を忘れている。こんな危機感を再認識した。
日本だけではないが、これだけの自然資源に恵まれた国の日本人が、その存在を意識せずに暮らしている。これは今の社会生活や文明が砂上の楼閣と言っても過言でないのではなかろうか?
また、食糧安全保障の観点から考えても、日本人は無頓着すぎると言うか平和ボケしている。知る人ぞ知る、先進国の中で唯一ダントツに食料自給率が低い。
食と言うのは、人間の営みの中では快の部分はあるとしても、その食の材料となる農業を知らずして、どうやって健全な人生が送れるのだろうか?
“農は万年、亀の如し”の視点は新鮮だ。農は貴しという新渡戸稲造の言葉に代表されるように、日本人はもっともっと農業の奥深さを知り、農を大切に考えないといけない。単なる食料としてでなく、文化でもあり伝統でもあり、日本と言う国の根源である。
“農家が消える”こちらのタイトルは衝撃だ。
日本は人口が減っていく。職人も消える。エッションシャルワークを維持するのが困難な国になっている。農家の高齢化は特に深刻だ。外国人労働者で埋め合わせしてきても、間に合わない。新規就農者も増えてはいるが、全体に対する影響は微々たるものだ。
農業が衰退するという事は、地方や田舎の生活基盤、里山機能、環境保全としての自然の崩壊など、様々な問題を誘発する。当然、すでに発生している多くの問題は現在進行形である。
この本では、自然資源の最たるのが農業であると定義している。さらに、中山間部では林業と相まって、自然資源の無駄遣い、放棄などが大きな問題となっていると論じている。
専門的な用語も満載でなかなか読み応えがある。
もし機会があれば、こういう本をまとめて、現代版の農学として学びの機会を拡げたい。
先にアグリマスターズのことを少し紹介したが、農業の大切さや実際を学び、一人でも多くの人が、農業を知る。それも単なる食料の供給源としての農業ではないことを知る。私達人間の根源でもあることを知る。そういう学びの場創りにも貢献しようと考えている。
以上