札幌の聾学校の手話裁判を見て感じた私の思い:手話教育に関する制度や環境の変革を願って
私は、耳が聞こえない・目が見えない人が通う(キャンパスは別)筑波技術大学の元学生で、現在は放送大学の耳が聞こえない近藤 史一です。
今回は、札幌で行われた聾学校の手話の裁判について、私が感じたことを書きたいと思います。まず、この裁判は手話の権利を求めるだけでなく、手話教育の環境改善にもつなげるべきだということです。その理由を以下に詳しく説明します。
手話の権利を求める裁判
札幌で行われた裁判とは、北海道札幌聾学校に通う学生が、日本手話で授業が受けられないことで教育を受ける権利を侵害されたとして、北海道に損害賠償を求めたものです。日本手話は、ろう者の母語であり、文法や語彙が日本語とは異なります。一方、日本語対応手話は、日本語の文法に合わせて単語ごとに手の動きを当てはめたものです。個人的にはあまり好きではない言い方ですが、日本語対応手話のことを手指日本語と呼ばれることもあります。ろう者の中には日本語対応手話を理解できないが日本手話ならば理解できる人もいます。
この裁判では、原告の児童らは日本手話を第一言語として育ちましたが、同校では日本手話ができる教員が不足しており、日本語対応手話や身ぶりで指導されることが多かったと訴えています。その結果、教員の言っていることがわからず、授業についていけなくなりました。また、周囲の会話にも参加できず、孤独やストレスを感じました。精神的な苦痛から登校拒否になったり、自己肯定感を失ったりしたケースがありました。
意見
私はこの裁判を見て、まずろう者の権利や差別の歴史に思いを馳せました。日本では昭和30年代まで、聾学校では手話が禁止されており、口話や筆談で強制的にコミュニケーションをさせられていました。その影響で、ろう者は自分の言葉や文化を否定され、自己表現や思考力が奪われました。その後、ろう者運動や国際的な流れによって、手話の権利や教育への導入が進みましたが、ちょうど人工内耳という便利な補聴装具が普及したタイミングも重なってか現在に至るまで手話と音声活用を合わせた教育が十分とは言えません。
しかし、私はこの裁判が単に手話禁止時代への反動だと考えるのは短絡的だと思います。もちろん、手話禁止時代の影響は大きく残っており、それを克服する必要があります。しかし、それだけではなく、現在の聾学校の制度や環境も問題だと思います。特に転勤制度です。
転勤制度の問題
聾学校では教員が定期的に転勤することが多くあります。これは一般的な公立学校でも同じですが、聾学校では特に深刻な影響があります。なぜなら、手話は一朝一夕に習得できるものではなく、長い時間と努力が必要な言語だからです。教員が転勤するたびに、手話のレベルやスタイルが変わります。また、教員と児童の関係性も途切れます。これはろう者にとって満足にコミュニケーションできなくなり大きなストレスになります。
実際の経験
私は自分の経験からも、転勤制度の問題を感じています。私は幼稚部から高校まで聾学校に通いましたが、その間に何人もの手話が出来る担任や教科の先生が他の聴覚でない特別支援学校に変わったり、逆に聾学校ではなく特別支援学校から来た先生もいました。中には手話ができる先生もいましたが、多くは日本語対応手話や口話そして身振りなどで授業をしていました。私は日本語対応手話や口話もできて、先生みんなとても親切でしたが時々授業に集中できなかったり、理解できなかったりすることがありました。また、転勤制度のせいで先生と仲良くなってもすぐに別れることになりました。私はそのたびに悲しくなりました。
まとめ
私はこの裁判を通して、手話教育の環境改善及び特別支援学校における転勤の在り方の改革を求める声が高まることを期待しています。手話教育の環境改善とは、手話ができる教員の確保や育成だけでなく、転勤制度の見直しや児童の意見の尊重も含みます。ろう者は自分の言葉で学び、自分らしく生きる権利を持っています。その権利を守るためには、裁判だけでなく、教育現場や社会全体での意識変革が必要だと感じました。また、転勤制度が基本的にない、そして手話による教育を行う明晴学園の良さを実感するように感じました。
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