誇り高きblue-collar tech worker、ソフトウェア職人でありたい
昨年の暮れに行われていたPHPカンファレンス に行ってきた。
PHP歴半年程度なので、ちらほらと気になった公演をききつつ、PHP界隈の雰囲気を楽しんできた。
一番考えさせられたのは、@koriym さんのLT、AI Centricだった。
@koriym さんがAIとともに開発した体験談を通して、AIに導かれてツールを使ってソフトウェアを開発している自分のアイデンティティについてつらつらと語るエッセイ調(?)のLTだった。
「 そもそもAI時代のソフトウェアエンジニアってなんじゃい?」という問いを強烈に投げかけてくれるLTで、年末ぐるぐる考えていたので感想をここに吐き出してみようと思う。
私の中で出た答えとしてはblue-coller tech workerとして誇りをもとうという開き直りをすることに落ち着いた。
上記LTで引用されていたyou are not a software engineer(出典がちょっとわからない / redditあたりの記事?) では「ツール使えるだけの人間なんてソフトウェアエンジニアじゃないじゃん。本質的なことに詳しくなろうぜ(超要約)」と語られていた。
私もずっとこの焦りがあった。低レイヤ技術の理解度が浅いことにコンプレックスがあり、闇雲にネットワーク機器の勉強会に出席してみたり、おもむろにC言語の本を読んでブログを書くなどもしてみた。
が、結局仕事で使うわけでもないので定着しない。OSの開発などにも興味が持てない。趣味でOSSにコミットできるほどの熱量もない。30過ぎてわかったことは、私は要するに魂の形がソフトウェアエンジニアではないのだということだった。
しかし、私は日々、プログラマとしての仕事を大変満喫している。要件を調整し、既存の実装調査し、テストコードを書き、ツールに頼ってプロダクトを日々改善している。「新しい技術」には特に惹かれないが、ある程度枯れた、「プロダクトを成長させることができる技術」には強い興味がある。
私はなんなのだろうか? そう考えた時、自分なりに出た答えはソフトウェアを作る職人ということになった。
私にとってプログラミングは道具で、ソフトウェア作りは仕事だ。だが、私は仕事とその道具が好きだ。
大工にちかいとでもいうとよいだろうか。大工は、自分でノコギリを作ることはしない。それはノコギリ職人の領分だ。ただし、最低限の手入が出来るような知識は持っている必要があるし、「すごい勢いで木が切れるノコギリ」が発表されたら試してみたくなる。そしてもちろん、ノコギリ職人の仕事へは深い敬意がある。
自分の力を誇示するような無駄に複雑なものは作りたくない。しかし、職人として難しい仕事を期待されると血が騒ぐ。
私にとっては、CIもLaravelもReactもAIも等しく道具であり、それらをつかってシステムを組み上げ、ユーザに届けるのは誇らしい仕事なのであるだ。
日本では、自らの仕事に誇りを持ったブルーワーカーのことを職人と呼ぶ。そんなソフトウェア職人でありたい、あり続けたいと私は願っている。
なんというか、我ながら実にしっくりくる。私は祖父は大工なので、その血筋かも知れない。余談だが、このブログのカバー写真はそんな祖父の「仕事」の一部だったりする。
余談だが、こんな私にとってPHP界隈は実に居心地が良い。Rasmus Lerdorf氏が「歯ブラシ」と表現した道具に、皆が熱中している。仕事道具に愛のある、なんとも素敵な職人の集まるコミュニティだと思う。