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小説 「任侠バーテンダー 入舟源三④」 源三のこども喧嘩塾
入舟源三は65歳の前期高齢者のバーテンダーである。12月25日が誕生日。
源三はこんな自分がキリスト様と同じ誕生日なんて、皮肉なものだと思う。
若いときに少しばかりグレていて、ヤクザの使いっ走りをしていたのだが、組の盃は受けていない。源三の組は暴力団ではなく、テキヤの元締めだったので、喧嘩ではなく任侠道を叩き込まれた。
バーテンダーの仕事は30歳過ぎてからとある場末のバーの見習いで入った。10年ほど修行してからこの店に移った。この店で5年働いた時に、オーナーバーテンダーから話が出て、店を引き継いだ。
源三は買い出しから戻ると、いつものように店の掃除を始めた。掃除が終わり、いつも通りボトルの拭き上げにとりかかろうとしていた。
その時、バーの入り口をトントンとノックする音がした。
恐る恐るといった感じなので、常連ではないようだ。それに、常連が開店前に用事や相談ごとで来る時には、大抵ノックなんかしない。そーっと扉を開けて、店の中を覗き込み
「源さん、いるかい?」と聞いてくる。
訝しんだ源三は、ゆっくりと扉を開けてみた。
そこには、ランドセルを背負った男の子が立っていた。
ビールを配達してくれる町内のリカーショップ" Ten CC "のオーナーで、常連客のひとりでもある坂本真吾の一人息子の亮だと思いだした。亮には、町内の祭りで何度も会ったことがある。
坂本亮は下町の小学校に通う5年生だ。
なぜ、そこに涼がいるのか分からない。
だが、亮の顔を見て、家に帰る途中でこの店に寄ったのだとわかった。
頬に擦り傷があり、服も少し汚れていたからだ。
「どうぞ。開いてるよ」
亮が顔を覗かせ、バーの中を見た。
「坂本さんとこの亮君だったよな。入れよ」
「はい。おじゃまします」
「亮君ちょっと顔見せてみな。傷になってるじゃないか。転んだのか?」
「はい。まあそんなところです」
「待ってろ。おじさんが消毒してやるから、そこに座りな」と源三は言って、救急箱を持ってきた。
傷は深くなく出血してはいないので、さっと消毒だけしてやった。
「何か用か?ジュースでも飲むか?」
「あ、いや、あの。大丈夫です」
「どうした?喧嘩でもしたか?」
「あ、いや、そーゆうんじゃないです。源三さんのお店は、うちのお得意さまなんで、ちょっと掃除のお手伝いなんかしてみたくなって」とませた事を言う亮は、本当は何か相談でもあるのだろう。
「ほおー。そうか。じゃ、カウンターでも磨いてもらうか」と、濡れたダスターを亮に放った。
源三は何も聞かなかったが、亮がカウンターを磨く表情は何かを言いたそうだ。
亮という名前は、父親の坂本真吾がつけたと聞いたことがある。
幕末の英雄 坂本龍馬にあやかりたい。龍馬のように豪胆な男に育って欲しい、と考えて亮馬とつけたかったのだと。
慎吾は、絶対いい名前だと思い、嫁さんに相談した。
「この子の名前だけどさ、亮の字に馬ってどうかな。読みはリョウマになるけど」
だが母親になった嫁は強かった。
「この子にそんなふざけた名前をつけるなら、私はこの子を連れて実家に帰るからね!」
と、退院したばかりの嫁に本気で怒られ、怒鳴られて退散した。
嫁の実家の義父が仲立ちしてくれて、「坂本亮」で落ち着いた経緯があったと慎吾から聞いたことがある。
亮は父親に似ず、本を読むのが大好きな子供に育った。
慎吾は「おれは毎日ちゃんと新聞は読んでいるぜ」と自慢しているが、実はスポーツ紙しか読まないのを源三は知っている。亮は慎吾の代わりに毎日ちゃんと大人の新聞を読んでいるらしいと言う噂を他の常連客聞いたことがある。
慎吾は源三の店で酔うと、近所の常連連中に向かって「どうにもトンビが鷹を生んじまったらしいぜ」と言いながら嬉しそうに自慢していたのを思い出した。
亮はカウンターを磨きながら、今日の昼休みに起きた事件を思い出していた。
亮は学校でも休み時間は、教室でひとりで静かに本を読んでいるタイプだった。決してガリ勉タイプではないのだが、男子生徒の中ではいつも成績が良いほうだった。他人と競争したり、争うのは苦手だったので、目立たないようにしていた。だが、クラスの担任からも信頼され、クラスの女子たちからも人気があった。
亮はいつも休み時間に女子たちに囲まれていた。そのせいで嫌われ者の乱暴な男子グループからは、やっかみ半分で「亮子」とか「弱虫亮ちゃん本の虫」と囃し立てられたり、からかいの標的になっていた。
一方で、クラスの乱暴グループの中心は、近藤 豪と言う名前で、クラスの中では一番体が大きく、学年の中でも体格がいいほうだった。このため、クラスの男子からは「番長」とか「親分」とか呼ばれていた。豪の周りには、数人のとりまきがいて、いつもつるんで行動していた。
亮が源三の店に現れた日の昼休みに、教室でちょっとした事件が起きた。
クラス委員長の女子、島田あゆみが、豪たちに注意したのだ。豪たちは、いつも自分たちの給食の食器を片付けないでグランドへ遊びに行ってしまう。
「ねえ、番長たちさ、ちゃんと食器片付けてから外に行きなさいよ。あんたたちの食器、いつも放ったらかしじゃない」
「いいじゃん。俺たちの代わりに、おりこう亮ちゃんが片付けてくれてるじゃん」
「そんなのダメだよ。ちゃんとしないなら先生に言いつけるからね」
「いいじゃん。亮は俺たちの食器、いつも喜んで片付けてくれてるもんな?」と、豪が座って本を読んでいた亮の所に行って、仲の良さをアピールするように肩を組み亮に声をかけた。
「いや、僕、喜んでやってるんじゃないよ。豪君たちが片付けないと、みんなに迷惑がかかるから代わりにやってるだけだよ」
「ほーら、亮君だって、いやいや片付けてるって言ってるじゃない」とあゆみが口を挟む。
「うっせーな。ガタガタ言うなよ。いい子ぶりやがって」と豪の子分のひとりが言うなり、亮が読んでいた本を取り上げて、あゆみに投げつけた。本はあゆみの肩に当たって、床に落ちた。
「あっ、本を投げないでよ!」と亮が言って拾いに行くと、豪が先に拾い上げた。
「本を返して欲しかったら、これからも食器の片付けしますって約束しろよ」と本をひらひらとさせた。
亮が本を取り返そうとすると、豪は亮を突き飛ばした。亮はバランスを崩して床に尻もちをついて転がった。
亮は立ち上がると、豪に向かっていった。
だが、呆気なく倒されてしまい、豪に頭を押さえつけられてしまう。
豪は亮の顔を床に押し付け
「悔しかったら、俺を倒してみろよ」と言われた。
昼休み終わりのチャイムで喧嘩は終わったが、午後の授業時間の間、涼は悔しくてずっと俯いていた。豪の言葉に怒りを感じた亮だが、体格も気迫も負けている亮には、どうしたら勝てるのか分からなかった。
放課後、亮は急いで学校を後にした。
豪たちと顔を合わせるのが嫌だったからだ。
学校を出たものの、顔の擦り傷が目立つし、このままでは家に帰れないと思った亮は、源三のバーを尋ねたのだった。
傷の手当てをしてやる源三に、亮は問いかける。
「ねえ、源三さん。どうしたら、喧嘩に強くなれるの?」
「絶対的に負けないことだ」と源三。
「僕は喧嘩に強くなって、クラスの豪ってやつを見返してたいんだ。源三さん喧嘩が強くなれるように教えてよ」
源三は暫く亮の顔を見ていたが
「明日から、学校が終わったら、真っ直ぐここに来い。教えてやる」
源三は、親に黙って喧嘩を指南をするのは拙いと考えて、亮が帰った後に父親の慎吾に電話をかけた。
「慎吾さん、配達のついでに少しお時間いただけませんか?」
バーに来た慎吾は源三の話しを聞いて、しばらく考えてから言う
「亮は本当に優しい奴なんだ。俺はそのままでいて欲しいとは思ってる。でも、亮が立派な大人になるためには、これは乗り越えなくちゃいけない壁なんだろうな」
「亮は本当に優しい子だと、俺も思ってますよ。でも、喧嘩に強いことと優しさは天秤にはかけられないんだと思うんですよ。強くなれば、もっと人に優しくなれるんじゃないかなって思うんです」
「そうだな、亮ならそうなれるかもしれないな。それに、子供の喧嘩に親が入っていったら、亮にも相手の子にもよくないことぐらいは、俺だってわかってるさ」
「まあ、ここは自分に任せてはいただけませんか?俺だって亮はいいやつだと思ってます。悪いようにはしませんから」
慎吾の了解を得て、翌日から源三の「喧嘩塾」が始まった。
「じゃ、今日から始めるぜ。覚悟しろよ」
「はい、源三先生。僕は絶対に諦めません」と亮の目が光る。
源三は「源三先生かよ」と苦笑。
「それじゃ、先ずは言葉遣いからだ。『ボク』は止めろ。俺か自分と言え」
「はい、俺、頑張ります」
「じゃ、先ずは、店の掃除だ」
「え?掃除ですか?俺は喧嘩を教わりにきたんです。闘い方を教えてください」
「先生の言うことを聞けないなら、止めるぞ。
これからは、俺が言うことは絶対だ。逆らうな」
「でも。。。」
「デモもヘチマもないんだよ。いいか、よく聞け。お前は5年生にしては身体は小さい方じゃないよな?」
「はい、わりと背が高いほうです」
「それに痩せっぽちではない」
「時々、店の手伝いもしてるから」
「だがな、身体ってのは、筋肉を使う時に意識して使うかどうかで変わってくる」と亮に濡れたダスターを放って寄越した。
「それを思いっきり絞ってみろ」と絞らせる。
亮は流しに行くと、思い切り力を入れて絞ったが水は出てこない。
「貸してみろ」
源三が絞るとまだ水がしたたる。
「力で絞るんじゃない。小指、薬指、中指でしっかり握れ。そうして、ゆっくりでいいから布を捻るんだ。こっちのダスターでやってみろ」
今度はしっかり絞れたようだ。
源三が交代して絞ってもほとんど水は出てこない。
「いいか、亮。体格や筋肉はひと月やそこらじゃ変わらない。だから、いまある筋肉の使い方を変えるんだ。そうすれば、もっと力が出せるようになる。」
源三は、カウンターの磨き方や、ボトルの磨き方を教えた。
「そのビールケースを持ち上げて、入り口に運んどけ」
亮は立ったまま、腰を屈めて持ち上げようとしたが、持ち上がらない。
「見とけ。こうやるんだ」
源三は、腰を落としてから、ケースを体に引き付けると同時に立ち上がる。
「腕で持ち上げるんじゃなくて、体に引き付けるんですね」と亮が試してみると、重いと思っていたケースは楽に持ち上がった。
「なんでも力でやろうとするのは、バカだ。頭で効率いい方法を考えて身体をうごかせ」
「はい!」
「それから、俺がいいと言うまでは、絶対に誰とも喧嘩はするな。それまでは喧嘩は封印しろ」
こうして、源三の喧嘩塾が始まってから1週間が経った。
亮は掃除のコツを覚えて、動きも早くなってきた。
頃合いだとみた源三は、次のステップに進んだ。
イスを片付け、狭い店の中にスペースを作って、入り口のマットを敷いて亮を立たせた。
「両手を下げろ。これから俺が押すから、マットから出ないようにしてみろ」
源三は、亮と向かい合うと右手を亮の左肩に当てて、グイと押す。亮はバランスを崩してマットの外に左足が出てしまった。
「足は肩幅に開け。前後にも少し開く。そうして腰を落とせ」
亮は言われた通りにした。
源三がもう一度、同じように亮の肩を押す。
今度は、簡単には倒れなかった。
「足の位置を決めて、重心を低くすれば、簡単には倒れない」
「なるほど、こうですね」と亮は腰を落とした。
「もう一度いくぞ」と源三が突き飛ばすように押す。すこしぐらついたがマットの外に出るようなことはなかった。
その日の夜に慎吾がバーに来た。
「源さん、今日は、ハイボールを貰えますか?」カウンターの椅子に腰掛けながら注文する。
「おう。いつものでいいかな?」
「はい。いつもので」
源三は、トールグラスに氷を満たし、ステアする。ステアで溶けた水分を捨ててから、ウイスキーを注ぐ。
「源三さん、一体、亮に何を教えたんですか?
この1週間で、あいつ、なんだか逞しくなったって言うか。自分からすすんで店の手伝いとかするようになって」
源三は話に頷きながら、ゆっくりソーダを足した。
「大したことは教えてないんで、安心してください」
軽くステアしてから完成したハイボールをコースターに乗せてすっと押し出す。
「亮には、自分が強くなっているという自信が必要なんです。黙って見守ってやってください」
「うん。その言葉、俺は信じてるよ。宜しくお願いします」
「亮は乱暴者にはなりませんから、大丈夫ですよ」
慎吾はハイボールを美味そうに流し込むと頭を下げた。
2週目も、店の掃除とカウンターの磨き上げ、ボトル磨きの他に、足拭きマットの上での押し相撲の特訓が続いた。亮は文句を言わずに源三の指示に従うようになった。
3週目には、押し相撲の攻守を替えてみた。亮に源三を押させたのだ。源三は亮からの攻撃にも負けない。マットの上でステップを踏み、肩をそらして力を逃すからだ。亮は攻撃しながら、源三の動きを観察して研究した。
源三が攻撃に回っても、なかなか倒れなくなった。
「源三先生。俺、何か変わりましたか?」
「ん?何でだい?」
「豪たちが、あまり、ちょっかい出して来なくなったような気がするんです」
「ほう、そうかい。そりゃ良かったな」
「でも、遠巻きにして見ながら、なんかスキを狙ってるみたいな感じで」
「それなら、それでいい。だがな、今は何を言われても、お前から先に手をだすなよ。まだ、塾は終わってない。俺が許可を出すまでは、絶対に喧嘩は禁止だぞ」
「はい」
源三は喧嘩の極意として次の事を亮に教えるつもりだった。
一、喧嘩はできるだけ避けろ、先に手をだすな
一、睨みあったら絶対に目を逸らすな
一、素人どうしの喧嘩は素手で戦え
そして気持ちでは絶対に負けるな
バーに慎吾が現れた
「亮がさ、何て言ったらいいのかな。急に男らしくなった、ていうのかな。変わってきたのを感じるんだよね」
「まあ、見ててください。亮は、喧嘩する肝がすわったら、本当の意味で強くなりますよ」
「本当の意味で強くなる。。。」
「そうです。強くなったからって、やたらと喧嘩するような奴にはなりませんから」
豪は亮の雰囲気が以前と変わってきた事に気づいていた。
亮がクラスメイトと話している時の様子は、全く変わっていない。なのに、何かが違うのだ。
以前は、ちょっとからかってやろうという気になったのに、そんな気にならなくなった。
同じクラスで豪とつるんでいる宏や憲一たちが「番長、最近、亮と絡んでないけど、いいんですか?」
「ああ、あいつ逆らってこないし、からかうのにも飽きたから。まあ、何かあったら、また、しっかりシメてやるけどな」と嗤った。
そんな会話が豪たちの間で交わされていることを亮は知らなかった。ただ、以前と違い、ちょっかいをかけてくることがなくなった。
そして、源三の喧嘩塾は4週目に入った。
「今日から、相手の動きを制御することを教える」
「せいぎょする?ですか?」
「自分が捕まれた時の対策だ」
「先ずは、胸ぐらを捕まれたとき。相手の腕を掴んで振り解こうとしても、それだけじゃ解けない」
「どうしたらいいんですか?」
「体を使って解く」
「両手で相手の腕わ掴んだまま、体を下げて、相手の腕の外側から腕の中に入るんだ。ゆっくりやってみろ」
源三は、椅子に座ったままで亮の胸ぐらを掴んだ。
亮は、スローモーションのようにゆっくりした動きで、源三の右手の腕を掴んだまま、身を低くして右手の肘側に踏み出し、源三の肘を捻るように回った。胸ぐらを掴んでいた源三の手が離れた。
「そうだ。もう一度やってみろ。今度は、相手が手を離しても肘をロックしたまま、相手の背中側に回るんだ」
亮は源三の手首をしっかり掴んだまま、背中側に動いた。
「いてて。まいった」と源三が顔をしかめる。
亮は慌てて手を離した。
「これを素早くやるんだ。だが、正確に動くためには、ゆっくり動いて練習しろ。大人相手だと身長差があるから上手くいかないかもしれないが、子供同士なら間違いなく外せる筈だ」
「はい!」
「つぎは組み伏せられた時に抜け出す方法だ」
亮は豪に押さえつけられた時のことを思い出して、真剣に説明を聞いた。
「体重があるやつに押さえ込まれると、身動きは難しい。押し返して反撃するのは無理だ。だが、相手がその体制で殴りかかろうとしたら、そこがチャンスだ」
「チャンス」
「そうた。片腕を振り上げるから、相手はもう片方の腕だけでお前を押さえる体制になる。そのタイミングで、両手で押さえられている腕を掴んで、相手が腕を振り上げた方へ思い切り転がれ。相手の体制が崩れる一瞬がチャンスだ」
「ここで練習するんですか?」
「これは、店の床じゃ練習ができないから、家にいる時にこっそりやってみろ。」
源三はこのようにして、毎日、新しい技をひとつずつ教えた。
喧嘩塾を始めてから、1か月が経った。
「今日は、喧嘩の極意を教える」
「はい」
「ひとつめは、喧嘩はするな、逃げろ。だ」
「えー。逃げるんですか。それなら喧嘩を勉強した意味がないですよ」
「まあ、聞け。喧嘩なんてするもんじゃないんだ。相手に怪我をさせるし、自分だって怪我をする。しないで済むなら、しない方がいいんだ。だから、逃げろ」
「はい」
「だが、どうしても喧嘩しなけりゃ、誰かを守れないって時がある。その時は、相手を睨んで目を離すな」
「喧嘩は先に目を逸らした奴が負けだ」
「そして、自分からは仕掛けるな。相手の動きを見るんだ」
「こちらから先に動くと、動きを読まれて動きを封じられたり、逆にやられることがある」
「はい!」
話を真剣に聞きながら、亮は源三から目を離さない。その視線が眩しいと源三は思った。
源三は続けた「ヤクザもんの喧嘩は道具を使うし、重傷を負わせることも、下手したら殺しあいにもなる。だが、素人の喧嘩は、怪我させることが目的じゃない」
「相手を制圧して、戦う気を奪えば、こっちの勝ちだ。だから、怪我させてまで勝つ必要はない」
「はい、怪我をさせないようにするんですね」
「勝たなくても、最後まで負けなきゃいいんだ。もっと言うなら、もし喧嘩になっても戦わないですめばそれが一番いい」
亮は納得できないような顔をしていた。
「さあ、これで喧嘩塾は終わりだ。亮は強くなった。お前のクラスの番長、豪だっけ?もう、そいつは亮に仕掛けてこなくなると思う」
「相手がしかけてこなけりゃ、喧嘩する必要はないんだろ?」
「はい、わかりました。ありがとうございました」と亮は頭を下げた。
それから暫くの間、豪たちは絡んでくることはなかった。亮は勉強もしっかりやっていたし、家の手伝いも積極的にするようになった。
「源さん、本当にお世話になりました」
ハイボールを飲みながら、慎吾が言う。
「いや、自分は大したことはしてないから。それに自分も楽しかったんです」
「え?亮に教えるのが?」
「ええ、自分も若いじぶん、喧嘩はからきしダメだったんですけど、気だけ大きかったもんで、仲間にいいとこ見せようとして、ヤクザに喧嘩売ったんです」
「え?源さん喧嘩弱かったの?」
「はあ、あの頃は、気ばっかり大きくて。喧嘩の仕方も知らないで、ヤクザにつっかかっていきました」
「若い頃のチンピラだった、白川のオヤジが、お前ら手だすなよ、この若造、俺が相手するから、って」
源三は回想していた。
連れていた子分たちと源三の仲間たちは、往来で二人を囲むように下がった。自分と向かい合ったのは、まだ、若頭になる前の白川雄一だった。ガタイは源三よりも小さいのに、他のチンピラとはオーラが違う。
源三は、ゴクリと唾を飲んだ。
源三が腰を屈めて上目遣いに睨みつけても、相手は微動だにしない。むしろ、楽しんでいるかのように笑をたたえているのだ。それでいて、隙がない。
源三は焦れた。
このまま逃げ出したいと思ったが、仲間の手前それもできない。
「この野郎!」
源三は声を上げて、相手に殴りかかった。
一瞬で勝負はついた。
源三のパンチはかわされ、ボディに一発くらい、前のめりに倒れた。
源三は一瞬、息が止まった。
そして倒れたまま吐いた。
「あー、しまった。手加減したつもりだったんだがなぁ」
源三の仲間たちは、声が出なかった。
「お前ら、この坊やの仲間なんだろ?」と言いながら、札入れから一万円札を出すと
「これで、介抱してやんな」と源三の顔の前に置き立ち去って行った。
源三は、勝てない相手に向かって息がって挑んだことを後悔したが、悔しさはなかった。
仲間に支えてられて、居酒屋に入る。
仲間たちと無言でビールを呑んだ。
「源さん。もう一杯飲むから、続きを聞かせてよ」真吾が言ったので、源三は我に帰ったが
「いやぁ、若気の至りってやつですから、恥ずかしくって、人に語るほどのことじゃありませんよ。勘弁してください」
他の客が入ってきたので、話しはそこで中断された。
翌日、亮のクラスで休み時間に問題が起こった。
豪と連んでいた一人の憲一が、クラスの女子のひとりのノートを取り上げたのだ。その女子は杉崎という子だった。
ノートにアニメのキャラクターを落書きしていたのだが、それが憲一の目に止まった。
「おお、杉崎上手いじゃん。みんなに見せろよ」
杉崎はノートを隠そうとしたのだが、憲一が素早く取り上げたのだ。
杉崎は憲一から取り戻そうとするが、手が届くまえに投げられた。ノートが宙を舞い、別の男子に渡り、宏がそれを受け取り逃げた。
「やだよー。返してよー。お願いだから」と杉崎は泣き出した。
「おい、返してやれよ。嫌がってるだろ!」
亮が声を上げた。
「へー、正義の味方の亮くん。カッコいいー。ステキー」と、宏がふざけるが、返さない。
憲一が「なんか最近カッコつけてない、こいつ」と言いながら、宏からノートを取り上げ、ひらひらとノートを皆にみせる。
亮は憲一と睨み合う。
始業のチャイムが鳴ったので、憲一が下がった。
「これは、俺が預かるからな。放課後に体育館の裏に来いよ。そしたら返してやる」憲一が言った。
担任が入ってきたので、亮も席についた。
放課後。体育館の裏。
亮と杉崎が着くと、豪とその仲間が4人で待っていた。
「言われた通り来たんだから、ノート返してあげなよ」
「亮、最近俺たちがシメてやらなくなったから、調子に乗ってんじゃない?」
「そうだ、そうだ」と囃し立てる。
「とにかく、返してやれよ。俺とは関係ないだろ?」
「ノートは返してやれ」と豪が言う。
「えー、番長、それはないですよ。ついでに亮をシメてやろうと思ったんですから」
「それとノートは関係ない」
「番長がこう言ってるから、返してやるよ」と杉崎の方へ投げてきた。
ノートが地面に広がって落ちた。
「おい。杉崎に謝れよ」
「やーだねー」
杉崎がノートに着いた土を払って、
「坂本くん。もういいよ。坂本くんがまたイジメられたら嫌だから」
「ダメだ。憲一、杉崎に謝れ!」
「何、いいカッコしてんだよ」と、杉崎の手からノートを取り上げると、地面に落としてノートを踏み始めた。
「やめろ!」と叫びながら、亮は憲一にたいあたりした。
尻餅を着いた憲一が立ち上がると
「お前、喧嘩売ってるのか?」と凄む。
「ああ、弱いものイジメは許さない」
「おもしれーじゃん。いつもみたいに、こいつをボコボコにしてやろうぜ!」と仲間に声を掛ける。
「いや、タイマンでやれ。俺が見届けてやる」と豪が制した。
「え、番長。番長がそう言うのならいいですけど。でも、俺はこいつは許せないんです。弱虫のくせに、女子の前でいいカッコしやがって。タイマンでやりますよ。こいよ」と憲一が構えた。
亮も構え、二人が睨みあう。
亮は考えていた。
源三さんは、喧嘩はするなと言ってた。
けど、憲一は酷いことをした。
突き飛ばされ、憲一は怒っている。
ここでやらなければ、仕返しにもっと酷いことをするかもしれない。
自分は負けない。強くなったから。
そう思ったら、力が湧いてきた。
余裕が出てきた。
憲一を見ながら、目を逸らさないと決めた。
自分からは手を出さない。
「どうした。怖くなったのかよ。かかってこいよ。弱虫」
憲一が左手で、亮の胸ぐらを掴んだ。
右手で殴りかかろうと拳を振り上げた。
亮の体は反応していた。右手で憲一の手首をギュッと掴むと、相手の左に回り込み肘を固めた。
「いてて!」と憲一が叫ぶ。
亮は、すかさず腕を捻り、憲一の背中に回った。左手は憲一の右肩を押さえ、動けなくした。堪らずしゃがみ込んだ憲一を亮は押さえ込んだ。
一瞬の事に、全員が目を疑う。
「いてーよ。反則だよ。離せよ」
「やだ!負けを認めるまで、離さない」
「亮。お前の勝ちだ。離してやれよ。お前の勝ちは、俺が認める。憲一には、もう手出しさせないと約束する」豪の声だった。
「え、番長。。。」憲一が呟く。
「番長が約束してくれたから、離すよ」
亮が手を離す。憲一が逃げるように飛び退く。
肩をさすりながら、ぶつぶつ言っているが、完全に戦意喪失したようだ。
豪が「亮、お前、強いよ。見直したぜ。憲一には俺から言っとくから、もう、行けよ。杉崎、悪かったな。俺が代わりに謝るから、許してやってくれないか」と杉崎を見て言う。
杉崎が頷く。
「番長、ありがとう。じゃ、いくよ。番長っていいやつだったんだね」
「よせよ。俺はお前の番長じゃないから。さあ、行けよ。今日のことは、センコーには内緒だからな」
「ああ、約束する。喧嘩なんか、なかったよな。杉崎も何も見なかったよな?」
「亮くん、ありがとう。私も何にも見なかったよ。ノートを落として、ちょっと汚しただけ。行こう」
亮と杉崎が立ち去った。
豪が仲間に向かって言う。
「もう、亮をいたぶるのは辞めだ。あいつ弱虫なんかじゃなかったから」
キャスト
源三
中村 源三のバーテンダー修行仲間
橋爪
坂本亮 小学生5年生
坂本慎吾 店の客で酒屋経営者
リカーショップ"Ten CC"のオーナー
テーマ:守るべき者
友情 友達の子供
キーワード
子供の喧嘩
喧嘩塾
シーン
源三のアパート キッチンと寝室だけの1DK
キッチンに座って、カクテルの本を読んでいる
寝室の本棚には、ワインとウイスキー、カクテルの本が収まっていた。
家で飲む酒は、焼酎の水割りかお湯割を1杯だけと決めている。
いいなと思ったら応援しよう!
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