食べるもの哲学
食べるもの、それは血となり肉となり、私の一部になる。でも、物理的に一部になるだけではなくて、精神的にも私の一部になると考えている。
昔、会社の先輩方にとあるお店に連れて行っていただいた。
とりあえず何を頼んでも美味しくて、その日はまさしく「箸が転がっても面白い」状態になるまでお酒を飲んだ。そのお店の特徴として、変わった材料を使った料理が多かったように思う。(残念ながらそのお店はその後閉店してしまったのでもうメニューが分からない)
記憶にあるのは、ワニ、カンガルー等。
恐る恐る食べると、元からそういったものなのか、シェフの腕が良いのかは分からないが、特に癖や臭みもなくとても美味しかった。
「ワニって食べられるんだ」
それがその時抱いた感想だった。
その後、そんなお店に行った記憶も薄れてきた頃、特に何を見るでもなくつけたままにしていたテレビから、芸人さんがワニに近づき恐がっているような場面が流れてきた。
その時私は愕然とした。
批判を恐れずに言ってしまうと、私の中では、もはやワニは野生動物ましてや恐れるものではなく、食べるものとして美味しそうだなぁと眺めていることに気づいた。
「食べる」ということは栄養として吸収するだけでなく、「食べる側」と「食べられる側」という精神的な格差を生み出す。時々人食を聞くが、私の考えとしては、一度でも人間を食べてしまったら、対等な関係にはもう戻れないのではないかと思う。
私の愛読書 幽白での一場面がようやく腑に落ち、少し大人になった一夜だった。
人間を食べた妖怪を目の前にしてそれを「食事」と割り切れてしまうキミは もう人間界の住人じゃない気がする(17巻)