聖なる場所とそこを訪れ、歩くことの重要性―かつて私が学んだこと
私の学生時代、所属していたゼミでは毎年春合宿をおこない、二上山や葛城、生駒、竜田、大神(おおみわ)、春日、室生など、奈良の寺社を訪れていました。
指導教官の先生のお考えでは、文献に「天」と書かれていても、それが真上なのか斜め上なのかは、現地を訪れないとわからない。
私は(私の事務能力のなさを知っている人は驚かれるでしょうが)何年か幹事をやっていて、宿の手配と式内社(平安時代の『延喜式』神名帳に載る=当時の朝廷が祭祀の対象としていた神々)について、明治以前の景観を名所図会などで事前に調べていました。
指導教官いわく、明治以前と以降では、神仏分離で大きく景観が変わっている上、鉄道建設などで、参道の位置も変わっている場合があり、それではなぜその地が聖なる土地とされたかがわからない、ということでした。
現地では、「こっちに本来神がまつられていたはずだ!」と薮をがさがさ行くと、磐座(いわくら)と思しき岩があったりして、学生は「この人、本当に学者なの?霊能者なの?」と、???だらけでした。
今思うと、古代人が聖なる場所と考える場所にはパターンがあって、場数を踏むと、「ここが古代人が聖なる場所と感じる所だ」というのが、わかってくるようになります。
私は大学では非常勤のかけもちで、昔々、宇都宮大学で非常勤ですがゼミをもっていた時は、学生を連れて宇都宮の聖地をまわるということもあったのですが、その講座もずっと以前になくなり、一人で聖地を訪れることが続いていて、今回、関西勉強会で初の遠足会が実現でき、私が教えられた、現地を歩き感じることの重要性について、少しですが紹介できたことは、うれしかったです。
ちなみに、聖なる場所の感覚は、ネパールや(私は実は現地を訪れたことがないのですが)チベットでもおそらく共通していて、ネパールの地方を訪れた時も、「日本人だったら神々をまつるだろうな」と感じる場所に神がまつられていました。
日本在住のチベットの高僧がインド・カリンポンにお寺を建てられて法要があった時、私はお寺の入り口の岩が気になって、リンポチェに申し上げたところ、「あれは○○です」と、私ははばかって言わなかったことをはっきりおっしゃっていたので、チベット人の聖地感も共通しているのだと思います。
磐座は、そこから神がこの世にあらわれる場所で、そのため出産や性的なことと結びつけられています、