②ヤングケアラーから警察官へ
こんにちは!!!!
昆布です!!!!
先日
①総合失調症の母
を投稿させて頂きましたがその続編となります。
①の簡単な振り返りをすると、
物心ついた時から母の総合失調症でした。
その母に殺害されそうになったり、殺害しそうになったり、自分が思い詰めて自殺しようとしたり、思い返すのも今だに辛いです。
そんな状態の時、ある事件を見て、人の為に死ねる仕事として警察官になることを志しました。
そこからの人生について書いていこうと思います。
まず上記記載のある事件とは、秋葉原の通り魔連続殺人事件で内容的にはトラックや刃物を用いて通行人を殺害する事件でした。
グラセフってゲームを知っている方は正にそんな感じの事件でした。
その犯人を地域警察官(制服の警察官)が拳銃で制圧した事件です。
実際その警察官がカッコよくて憧れていた訳ではないです。
当時の私の心理状況として
・母を殺せなかった
・自殺もできなかった
・誰もこの状況を変えてくれない
ということがあり、どうせ死ぬなら人の為に死のうと書けばカッコよく聞こえますが、危険な仕事で死に場所を探していたのかもしれません。
目標が決まってから現在の状況を整理していたのは覚えています。
・当時中学2年生
・現在は帰宅部
・貧困のため部活ができない
この外的要因があったので出来ることを探しました。
そしてそれが”筋トレ”だったのです。
小学生の時、”ブロリーになる””野球で飛距離を飛ばす”為に自宅トレーニングを真剣にやっていました。
これをまたやろうと思ったのです。
時間はあったので、
毎日腕立て1000回
を目標にしていました。
これは1日も間がないかは正直覚えていませんが、毎日のようにしていました。
他にも自宅でできるトレーニングについてはがむしゃらになりながらやっていたのを覚えています。
それに加え、市民体育館の安いジム(100円)はよく利用していました。
体の変化は正直興味がなかったので覚えていませんが、目標が定まったこと、筋トレを継続したことの要因かとても気持ちが前向きになり小学生の頃のような気持ちは少しずつ取り戻していたと記憶しています。
確かこの時期母が大暴れが頻発し、強制入院していたと思うのですが、多すぎて覚えていません。
私は奈良県の共学の高校へ進学しました。
高校生になり、警察官を目指すなら柔道か剣道をしないとなと思っていたので剣道部に入りました。
剣道自体は1年以内に初段を取得できました。
入学後やはり家庭が貧しいことには変わりないので、アルバイトを始めました。
奈良県のイオンの中にある”ポムの樹”で勤務していました。
ポムの樹には本当に感謝しています。
一番感謝している部分はまともなご飯が食べられる点です。
賄いで支給されるオムライスが僕の生きる生命線でした。
正直かなり忙しい店舗でスタッフの入れ替わりの激しい中、この賄いを失う恐怖で辞めるという選択肢はありませんでした。
ポムの樹で働きながら、同じイオンの中にあるジムに入会しトレーニングしていました。
正直当時は筋トレの知識を手に入れる方法がなかった(インスタ等がない)のでひたすら
”ベンチプレス”
をやってました。
ベンチプレスとの出会いとかは全く覚えてないのですが、ジムでやってる人を見つけたとかだと思います。
今思えば、腕立ての効果があったのか、高校卒業時までで足上げギロチンベンチプレスで150kg上がりました。
ジムの他の利用者にベンチの大会を勧められていましたが、ずっと断っていました。
この時から筋トレをする理由が筋肉をつけるためではなかったからだと思います。
自分にとって筋トレは、母のような失うことのないものでそれに依存していたのだと思います。
そしてアルバイトでかなり稼げるようになり、やってみたかった極真空手も初めて個人的には
・学業(してない)
・空手
・剣道初段取得
・アルバイト
・多くの友達
・ベンチ150kg
を高校生になり、獲得できたので忙しかったですが中学までの状況よりはグッとよくなったのを覚えています。
ただ高校3年生になり奈良県警察官の採用試験を受けて見事に落ちました。
そして高校卒業辺りで父と久しぶりに会話をしました。
両親に会いたくなかったので家帰ったら即部屋に篭る生活をしていたので家庭内別居のような状態で会話をした記憶がありません。
その父との会話の内容で自分が過去に母を殺害しようとして自殺をしようとした過去を説明しました。
すると父から、
俺はお前が自立すれば母と死のうと思っている。
という内容の話を向けられました。
それに対して何の感情も生まれませんでした。
父は実際母を養う為に生き、息子をこんな生活をさせているので何の為に生きているんだろうと思っていたので多分この感情が生まれたのだと思います。
このような出来事があり、かなり凹んでいたのでポムの樹へ就職を考えていましたが警察になるという目標の為に生きていたので奨学金で警察になるために専門学校に通いだしました。
拠点は祖母の家に変わり、ただあまり家に帰ることはなく、当時の彼女の家を転々としていました。
ポムの樹で時間外責任者となり10数万の稼げていたのである程度生活はできていました。
そこで専門学校の時に大阪府警の試験を受け、合格したので大阪府警に拝命(就職)しました。
警察に入るまでの人生はこんな感じとなります。
今この投稿を書いてみて、懐かしいなと思うと同時にいい経験をできたなと思っています。
人は幼少期に受けた影響がとても大切だと思います。
実際私は、不幸勝負をするつもりはありませんが、外部要因(家庭環境)に苦労はしてきた方だと思います。
その中で死を考えました。
ただ自分自身なんの努力もしていなかったのでドンドン悪い方向性に向かっていました。
矢印が完全に外に向いていました。
本当の意味で自分のことを助けてくれる人はいない。
変えれるのは自分自身の心なんだと早期に気づけたことは人生にとてもプラスになりました。
そこに気づく為に
・警察官になる目標・筋トレ
がありました。
警察官になる目標(夢)に関しては、正直どんな目標でも良かったんだと思います。
目標を決め、それを叶えるための短期目標を決めて行動していたから、暇な時間がなかったから前に進めていたんだと思います。
筋トレに関しては、先ほどにも記載しましたが、
私に母のような存在(精神安定剤)
です。
よく何の為に筋トレをしているのか問われます。
私にとっては、”生きる”ためですね。
筋トレをしていると、成長がすぐ感じられます。
例えば重量が上がったり、体に変化が出たりです。
この小さな成長の積み重ねが大きな結果に繋がるということも筋トレが教えてくれました。
(また筋トレ愛は投稿しますw)
”生きる”についてもこの段階で記載したいです。
生きるとは自分の意志で行動することだと思います。
例えば母のように自我を失うのは私の言う”生きる”とは違います。
父のように母の療養費だけを稼ぎ自己犠牲をするだけも私の言う”生きる”ではありません。
私は自分の人生を”生きる”為にトレーニングをしています。
次回は警察官時代に脳卒中になった話を記載して行こうと思います。