こんぶ堂

お話を書きながら夫と子らと暮らす主婦。たまに出社します。

こんぶ堂

お話を書きながら夫と子らと暮らす主婦。たまに出社します。

マガジン

  • わたしがなかなか攻略できない日常会話という音ゲーム。

    会話の中で聞くとつい受け流せずに躓いてしまうセンテンスについて。

最近の記事

ある訃報。受験勉強に血道を上げていた最中、知らぬ間にマルグリット・デュラスが亡くなっていたとき以来の衝撃だった。

    • 結局私はこれなのだなという話。

       これまでの人生を客観的に振り返ると、自分は結局これなんだと思う。 境界性パーソナリティ障害について | メディカルノート (medicalnote.jp)   この症状で自分よりも苦しんでいる人、薬を飲んでいる人もいるので、働いて賃金を得て結婚して子育てもしている自分がこれを名乗ると怒られるのかもしれない。  けど、この自覚を持ってから死にたいと思う機会がすごく減った。  beforeが3分~5分に1回。  afterが週1回。  ほんとうに楽になったなあと思う。  自

      • 防衛のためのおしゃれ

         子どもたちがそれぞれ習い事をするようになって、送迎だったりレッスンに付き添ったりする機会が多くなりました。  習い事をしているのは子どもたちなので、自分はただの添え物として、活動が終わるまでじっと待ってるだけなのですが、よそのお母さんたちにとってはその待ち時間は貴重な社交場であるみたいです。  まあ、わたしはその人たちに交じっててきとうにニコニコしてるだけなのですが・・・。  一時期、そのお母さん方の中の一人がやたら私に近寄ってきて、自分がお金持ちであるという趣旨のお話を

        • 「皆さんは、どうやってるんですか?」

          「子どものランドセルって、皆さんいつ頃購入されてるんですか?」  昨年の世間話で一番返答に困った質問でした。  私はいわゆるラン活には全く情熱が湧かなくて、小学校の入学説明会の資料にも「子どもはランドセルを背負って投稿させろ」とはどこにも書いていないし、よその自治体などでたまにある、指定のリュックとかでいいじゃないかと思っていたんですけど、とはいえ別に同じ考えの「みんな」を探そうという発想も起きず、年度終わりのぎりぎりで店頭に残っていたランドセルをしぶしぶ購入して今も使わせ

        ある訃報。受験勉強に血道を上げていた最中、知らぬ間にマルグリット・デュラスが亡くなっていたとき以来の衝撃だった。

        マガジン

        • わたしがなかなか攻略できない日常会話という音ゲーム。
          6本

        記事

          挨拶は行動を左右する

           今年もよろしくお願いいたします。  我が家は帰省先が飛行機の距離にあるため、コロナ感染を懸念して今年も親戚には会えずじまいです。  親戚から子どもたちへのお年玉は、年末のうちに現金書留で送っていただいてあったものを、今日、渡しました。  今日は一家でお昼前まで眠り、昼食後に近所の神社へ初詣。親戚へのテレビ電話は夕方という予定でしたので、お年玉は夕方までにあげればよかったのでしたが、初詣前には渡す必要があると判断し、昼食後にすぐに渡しました。  外出して子どもたちがご近所

          挨拶は行動を左右する

          「マスクも着けておらず申し訳ありません」

           東京オリンピック開会式の何日か前の出来事。  玄関前に腰かけて、子どもたちとがやがやしていたら、お向かいさんが急に訪ねてきた。  その時に口をついて出たのがタイトルの言葉です。  自分の家の敷地の中にいて、他人に会う予定もなかったからその時の私はマスクをしていなくて、そこへいきなり来た人に対してこのような挨拶をしたわけです。  こんなふうに謝る筋合いはなかったな、と当時を今振り返っても思うんだけど、でも何となく、口から出てきたのでした。  社会通念に照らすとこれが正しいセ

          「マスクも着けておらず申し訳ありません」

          愛のはじまりの言葉のこと。

          「日常会話は音楽ゲームと同じでテンポ良く進めばよく、発言した内容の真偽はどっちでもよい。人の言ったことは半分程度信じればよい。」  この真実に、私は昨年末まで気づいていなかったのでした。  人の言ったことの十割をいちいち真に受けて、一喜一憂していたのです。しかも私は記憶力が良いので、十年前に一緒にお茶したときの一言とかを無駄に覚えていて、あの発言の真意はなんだったのか…などと悩んだりしていたのです。  現在は、自分の物覚えの良さも加味して、人様の発した言葉の信憑性は三割程度だ

          愛のはじまりの言葉のこと。

          「バナナがおやつに入るか否か」を問うネタで笑う人は可笑しみを理解しているのだろうか?

          「バナナはおやつに入るんですか?」  学校で、遠足の前に先生に対してこんな風に質問をするとクラスメートの笑いが取れる、ということになっているらしいじゃないですか、世間では。  私は漫画の中でしかこれを言っている人を見たことがないですが、この世のどこかの教室では必ず遠足のシーズンにこのネタが展開されている、ということになっていますよね?(ほんとに?)  私は長年、この質問は「バナナを遠足に持参してよいかどうか」を問うているのだと思っていました。おやつに入らないと言われた場合、

          「バナナがおやつに入るか否か」を問うネタで笑う人は可笑しみを理解しているのだろうか?

          「早く着きすぎてすみません」

          このセンテンスを聞くたびに、 「しょっちゅう早く着いとるんかーい!」と内心コケてます。 ほんとは「着くのが早すぎてすみません」だよね。きっとね。

          「早く着きすぎてすみません」