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離乳食の残りは捨てていい

結論:

 離乳食の食べ残しは無理して食べない。

 リスクが大きい

離乳食の食べ残しを義務のように、、、
子どもが食べなかったのは、
ごはんをあげるタイミングと
メニューを誤った自分の責任、、、

と、思って無理やり食べる。
食べられるはずのものを捨てるなんて
考えられない!!!
そう思ってました。

しかし、
いつからか、わたしは
食べ残しを食べるのを
ぱったりとやめました。

そしたら、
ストレスが減りました。
リスクも減りました。

今日は
離乳食の食べ残しは捨てていい、と
過去の自分に向けたメッセージを
書いてみます。

もし、
残されたメニューが、
「ラッキー♡食べちゃお!」

と、
食べたくて食べるならいいけど、
そうじゃないなら
食べるべきではないです。

わたしは、いろんな理由を考えた結果、
離乳食の食べ残しは、

感謝して捨てる、か、
無心で捨てる、

ということにしています。
わたしの考えを覆す理由が見つからない限り、
今後も続けていくつもりです。

理由は次のとおりです。

・ そもそも食べたくないから

・ 食べたら太るから

・ 食べたくないものを
  無理に食べるのはストレスだから

・ 自分で食べたくない、を理由に
  子どもに無理に食べさせようと
  してしまうから

まず、

・ そもそも食べたくないから

これです。
そりゃわたしだって人間ですから、
ぐちゃぐちゃにになった食べ残しなんて
食べたくありません。
これをやめただけで、
ストレスがかなり減りました。

・ 食べたら太るから

・ 食べたくないものを
  無理に食べるのはストレスだから

これもストレスです。
嫌だなぁと思いながら食べるのは、
当然おいしく感じませんし、
今後、食べ残しが積み重なっていけば
当然、太るリスクが上がります。

離乳食は量も少ないし、、、
と思っても、毎日積み重なったら?
3食すべて積み重なったら?
リスクに変わりはないと思います。

イヤイヤ食べる→ 太る

こんな不幸なことはありません。
ママだって女性ですから、
ステキな体型でいたいし、
その方がファッションだって楽しめます。

どうせ太るリスクをとるなら
おいしいごはんやデザート、
お酒を飲んで幸せを感じたいですよね。

・ 自分で食べたくない、を理由に
  子どもに無理に食べさせようと
  してしまうから

これもやりがちです。
しかし、
子どもも嫌がるわ、怒る自分も嫌になるわで、
いいことないんですよね、、、(´д`)
子どももですが、自分も
食事の時間自体がいやになってきます。

そんなこと言ったって、
食べたくて食べているわけじゃない!!
最大の理由はもったいないからだ!!!

そして、
せっかく手間暇かけてつくったんだから、
あれだけ時間がかかったんだから、
あの手間に見合う
対価(たくさん食べて欲しい)が
欲しいと思ってしまうんですよね(>_<)

これが、最大の難関かなと思っています。
過去のわたしはそうでした。

ここからは、
もったいないという物理的なお話から
精神論、考え方を変えていくことで、
捨ててもいいんだ、
という方向に思考を変えて
解決していこうと思います。

確かに、
食べられるものを捨てた時点で、
食べものから、ゴミに変化してしまうわけです。
その罪悪感から逃げるために、
わたしたちは、
しぶしぶ自分の口へ運ぶんですね。

それなら、
その罪悪感を少しでも
軽くしてくれる考え方をしてみましょう。

「もったいないのは、
 失われた楽しい食事の時間。

 もったいないのは、
 今後失われていく体型

 もったいないのは、
 失われていくわたしと子どもの笑顔」

こう考える。

捨てれば、
イヤイヤ食べ残しを食べて
ストレスを溜めなくていい。

太るリスクを回避できる。

無理に食べさせずに諦めることができる。

1度実行しただけでは、
まだ、モヤモヤが残り、
罪悪感を感じると思います。

しかし、これを続け、

残す=捨てる

の図式が当たり前になれば、
このメリットが
かなり大きな存在になってきます。

そして、
捨てるときは
ありがとう の気持ちをもって。
ごめんね、、じゃなく、
ありがとう。

最初は口に出していましたが、
いまでは心で言うようになりました。

「息子のために存在してくれてありがとう
 食べなかったけど、
 キミは十分にはたらいてくれたね
 役目を果たしてくれたね
 お世話になりました」

そんな思いをこめています。

無心で捨てるときは、
忙しかったり、
心に余裕がないときです。

余裕がないときはどうしても
罪悪感を感じやすくなったり、
ありがとうではなく、
ごめんね、、、
と言う気持ちが
先行しがちです。

そんなときは
あえて何も感じないように
無心で、ただ作業として捨てています。

食べたくないのに食べる、
お腹いっぱいなのに、
無理やり自分の口に運ぶ
これがなくなるのは本当に大きいです。

太ってしまったら、
ダイエット食品、グッズ、本、
サイズが合わなくなってしまった洋服、
そして新たなサイズで買い足す洋服、
ダイエットのためだけの運動の時間、、、
お金も時間も持っていかれてしまいます。
なにより、痩せれる保証がありません。

長期的に見ると、
逆にかなり高くつくんではないでしょうか。

もう一つの山、
手間暇かけて作ったんだから
食べて欲しい問題。

こちらは、
じつは、簡単に解決できます。
手作りを止めればいいのですww

市販のものの方が、
手作りに比べ、
捨てに対して執着しないと思うのです。
せっかく作ったのに、、、
という落胆も軽く済むと思います。

しかし、
もったいないことに変わりはない。

そんなときは、さっきの
食べてしまうと、
もっと、もったいないものが発生する。
リスクが増えてしまう、ということを
思い出してください。

食べむらの多い離乳食時期は、
とにかく、
食べることは楽しいこと!
を学んで欲しい時期です。

以前話した、

「目的と手段のすり替え」

が、
ここで、起こりそうになっています。
いや、もうなってるwww

離乳食の目的 と 手段

目的→ 食事の楽しさを知る
手段→ いろんな種類の素材や食感を体験する

食事の楽しさを知ることが目的なのに、
いろんな食材を体験するということを
優先していないですか??

というのが、
今回の、目的と手段のすり替えです。

本当にこの法則は
いろんなところに潜んでいるんです。

イギリスのことわざで

「馬を水辺に連れていけても、
水を飲ませることはできない」

と言うものがあります。
まさにこれですよねwww
(馬に例えてごめんねw)

この言葉は有名で、
著書「嫌われる勇気」や
「アドラー心理学」にも
登場しています。

子どもに食事をあげた段階で、
料理のお役目は終了。
親はここで義務を果たしているのです。

もちろん、
食べさせると言う補助はしますけどね。

でも、
そこで、食べるか食べないかを
判断するのは子どもの方です。

そこで、食べない判断をしたら
どうしたって食べないんです。
それは子どもが選んだことです。

馬主は環境を与えることはできても、
水を飲ませることはできない。
馬主ができることは
環境を与える、変える、ことだけ。

与えて、試行錯誤して、
ダメだったらいいじゃない!
そこで子どもの食事が
すべて決まるわけじゃない。
飢えて倒れるわけじゃない。

無理やり食べさせるのは、
離乳食の目的にそぐわないし、
それなら、
もう諦めちゃった方が、
お互いにハッピー!

いま食べなくたって、
1週間、1ヶ月単位で見れば、
いつもより食べる量が多い日もあるかな?
と思えればOK。
1年後には、
もっと食べるようになってるかもよ?

お互いのハッピーのために、
離乳食のそもそもの目的のために、
楽しいごはんタイムを、
経験してもらうために、
そしてママのためにも、

目先のもったいないにとらわれず
無理に食べずに、
気にせずいきましょ!

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さっちぃ@スタエフはじめました
これからもわかりやすく、ためになる学びを共有し続けます!