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瓦に刻まれた我が家の歴史
高知県香南市。
近所に「森田療法」で知られる精神科医・森田正馬博士の生家があります。
昨年(2023年)国の登録有形文化財となり今年から保存修理工事が始まりました。
https://www.asahi.com/articles/ASRCX7QKWRCSPTLC003.html
工事が始まる前の2月に現地説明会がありました。
その時に、瓦の話があり「兎田熊」の刻印が。
兎田に2箇所瓦屋があってそれではないかとのことでした。また「佐古」という刻印もあり、これは同じ香南市野市町の地名です。
実は、私は子どものころ「瓦屋の子」と言われてなのでうちのだったらいいなぁと思いました。
そして代々の名前を調べると3代目に「熊右衛門」という名前があり明治22年没でした。
うちで作った瓦「兎田熊」やない???
この人か、4代目の「為吉」さんあたりが森田正馬博士と同じ時代なので可能性はあるかもと思いました。
11月初めに開催された工事説明会で、前回も説明してくださった高知文化財保存研究所の嶋村さんにその話をしてみました。
そして、うちに古い蔵を壊したときの鬼瓦をとってあるのでそれを見てもらえないかとお願いしたら、説明会の後寄ってくれました。
2種類の鬼瓦があり、古い方は江戸時代の「天保」の刻印があると見つけてくれました。
新しい方には刻印は見当たりませんでした。
でも嶋村さん曰く、名前がわかったことで瓦屋かどうかはわかるかもしれないとのことで調べてくれることになりました。
また、説明会に参加してたご近所の方からも
「瓦屋っていいよったで。」
と言ってくれ、
「けんど、どこで焼きよったかもわからんがですよねー。」
と言ったら
「親父に聞いてみろうかね。」
と言ってくれたり。
5代目は日清・日露戦争行ってたというし
6代目はお蚕さん飼ってたけど父が3歳の時亡くなるし
7代目の父は農家だし。
森田正馬生家の説明会のたびに我が家のことを振り返る機会になってます。
以上のことをSNS投稿したところ、南極で土壌調査をしていた時の様子を「南極絵巻」として作品にされてるササオカミホさんから
「香南市で作られた瓦のお話聞きたいです。土が気になります。」とコメントが。
今日の午前中、森田館に南極絵巻の土佐凧の作業に来るとお聞きして、え?近所に来るなら!と会うことに。
約束の時間に、防災訓練のサイレンがなり
「防災訓練行ってから寄ります」と連絡入れて防災訓練に向かいました。
避難訓練場所に行ってみたら、先日「親に聞いてみるわ!」と言ってくれた方が
「お父さんのお爺さん(5代目)がやりよったと。
家の庭で焼きよったって。」
と教えてくれました。
5代目がやってたら、4代目、3代目もやってたかも⁉︎
そして別の方も
「東小学校のところあたりの田んぼの土がえいってそこから取りよった。」
と教えてくれました。
それだけ聞いて、防災食もらって森田館にとんぼ帰り。
ミホさんに、
「瓦の土の場所、見に行きます?」
「行きましょう♪」
と田んぼを見に行き、
うちの田んぼを耕運したら連絡するので土掘ってみて下さい!とお伝えしました。
「鬼瓦も見ます?」というと「ぜひ」とのことで家に戻ることに。
「水」と書いた鬼瓦には名前がなかったことから削ってみましょうか?と鬼瓦の裏にべったりついていた漆喰を削ることに。
私は着物着てたので作業はミホさんにお願いしました🙏
そしたら、本体には書いてあるところを発見できなかったのですが、漆喰の中に詰められてた瓦のカケラに「兎田熊」とあるのをミホさんが発見!
しかも、鬼瓦の先の細いところにあり、私はそこまでやらなくていいんじゃないかと実は思ってたところからミホさんが取り出しました。
すご〜い!!!
今日は
・瓦屋やってた人の名前
・瓦焼いてたところ
・瓦の土を取ってたところ
・兎田熊と書かれた瓦のカケラ
がわかりました。
なんか、過去帳に出てくる先祖の名前がどんどん生き生きしてくる気がします。