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「やりたい」 と 「なりたい」 は全然違うという話

ふとTwitterをみていたら、こんな記事が流れてきた。

この記事内で特に印象に残った部分を3つピックアップしてみる。

> これは2つの失敗に共通する話だが、「プログラマーになろうとしている時点で向いていない」という考えもある。
> たぶん業界で活躍しているようなエンジニアはほとんどが「気がついたらプログラミングしていた」タイプの人だと思う。彼らが人の何倍も手を動かしているのは間違いないが、彼らはそれを「努力」だとは思っていないだろう。一方、「努力してプログラミングしている」人たちは、彼らの領域に至るまでにさらなる精神的な追い込みをかけなければならない。
> 向いていないことに苦しみながら取り組むより別の道を選んだほうが良いことがある。ただ、これからプログラマーを目指そうとしている人が「目指そうとしている時点で向いていない」と言われたところで「はいそうですか」とは決してならない。私も「バカにしやがって」と反発し、プログラマーを目指し、痛い目にあった。両者が理解し合うのはかなり難しい。そういう意味で、「プログラマーになりたい人」と「いつのまにかなっていた人」の間にも深く暗い川が流れている。


実際に読んでみて色々と感じるところがあり、この文章を書いている。

今回は、「なりたい人」と「いつのまにかなっていた人」というテーマに付随して「やりたい」と「なりたい」について考えたことを、自分の経験を踏まえながらまとめてみようと思う。(参考記事とはあまり関係ない内容かもしれませんが、最後まで読んでくれると嬉しいです。)


「なりたい」から何者にもなれなかった自分に。


注意
※ この記事には誰かを批判するような意図は一切ありません。
※ 振り返り部分を読み飛ばす場合は「やりたいとなりたいの違い」から読むと良いかもしれません。


今までの経緯

現在情報理工学部の4年生で、今年4月から別の大学院に進学する。
プログラミングは大学から始め、本格的にアプリ開発を始めたのは学部2年生の終わりだった。それまではずっと音楽活動をしていて、作曲してCDを出したり、ライブに出たりしていた。

アプリ開発を始めた理由は、中高生に作曲を教えるアルバイトをしていたのがきっかけだった。当時教える際に使用していたソフトがMac限定のものだったため、イベントが終わった後も作曲を続けてくれる子が少ないというのが気になっていた。(Windowsにも作曲ソフトはあるが、操作方法の違いやインストールでつまづいてしまう子が多かったのと、そもそも自由に使えるPCを持ってない子が多かった。)

ただ、大体の子がスマホは持っていたので、「スマホでも作曲が出来るようになったら、もっと作曲やモノづくりを楽しんでくれるんじゃないか?」と思い、スマホアプリ開発について勉強を始めた。(当時持っていたのがAndroidだったのでAndroidアプリ開発について勉強し始めた。)

約2週間毎日10~14時間、ひたすらプログラムを書くという地獄のような生活をしたが、アプリが完成したときは嬉しくてたまらなかった。(録音した音声から音程を抽出しMIDI形式で書き出してくれる作曲支援アプリだった。)

プログラミングの面白さを感じられた大きな成功体験だったと思う。

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図: 当時作っていた作曲支援アプリ

その後、もっと色々なものを作ってみたくなり、ゲーム・Webアプリ・XRアプリ開発もやり始めた。知らないことを学ぶのと、出来なかったことが出来るようになって作りたかったものをどんどん作り上げていけるのがすごく楽しかった。ゲームをプレイするより、ゲームを作る方がもっともっと面白いと感じていた。

そんなこんなで、本格的にプログラミングを始めてからもうすぐ2年が経とうとしている。

この2年で色々な会社のインターンに多く参加させていただいた。(ほとんどが有給で、給料だけでなく交通費と宿泊費まで負担してくれるものばかりだった。感謝。) 内容は様々で、講義形式で技術を学んだり、実際のサービスのソースコードを読みながら新機能を実装したり、短期間で個人やチームでプロダクトを作って発表したりした。2日〜5日間で開発するものあれば、1ヶ月半に渡るものまであった。分野はスマホアプリだけでなくゲームやWebもあり、クライアントサイドが多かったが企画やUI/UXデザイン、サーバサイドをやるものもあった。とにかく作りたいものを形に出来るのが楽しくて仕方なかった。

当時は、ほぼ全ての時間をモノづくりに捧げていた。平日は毎日大学に22時まで残って何かを作っていて、日が明るいうちに帰ったことは1年で10日もなかったと思う。休みの日もハッカソンや勉強会に参加したり、プログラミングを教えるバイトをしたり、ソフトウェアコンテストに向けてアプリを作ったりしていた。(何回か受賞することも出来た。)

毎日目まぐるしく大変な日々だったが、全部やりたいことだったので負担に思ったことはなかった。

そして、現在は大学に通いながらエンジニアアルバイトとして実務をしたり、スタートアップでエンジニアとして仕事をしたりしている。どちらも入った当初は何も出来ないレベルで実力が足りてなかったので、すぐ戦力になれるよう必死で勉強した。退社後も本や記事を読んだり、サンプルアプリを作ったりしながら喰らい付こうと踏ん張っていた。

最近は慣れてきたのもあって、業務もそれなりにこなせるようになってきた。エンジニアとしての自信もついてきたように感じる。それでもまだまだ実力は足りていないと感じているので、これからも地道に勉強していきたい。


ここまで振り返ってみると、おそらく自分は「いつのまにかエンジニア(≒プログラマー)になっていた人」にあたるのだろう。エンジニアになりたいと思って始めたわけではなく、やりたいことをやっていただけだった。それでも今までの経験や実績が評価されたおかげか、やりたいことをやっているだけで何故かお金が貰えているという状態だった。そんな風にやらせてもらえてることにひたすら感謝するばかりだった。


「なりたい」 を意識して病んだ時期

9~10月も目まぐるしく充実した日々を送っていた。(当時、同時に4社で働きながら研究もしていた。) 休みの日にもライブラリを作ってOSSとして公開したり、技術記事を書いたりもしていた。エンジニアとしての自信が少しずつ付いてきて、色々なものが作れるようになっているのを実感していた。

10月下旬、研究テーマを変えることになり忙しくなったため、スタートアップでしばらくお休みをいただくことにした。ここから歯車が狂い始める。

働く時間が減り自由な時間が出来たので、その時間で研究を進めて早く仕事に復帰しようと思っていた。それなのに、全く身体が動かない。研究だけでなく、普段のモノづくりに対しても一切やる気が出なかった。空いた時間があればずっとだらだらし、PCを開こうとすらしない。(気がつくと漫画アプリに毎月2万円使っていた。) 今まで当たり前にやっていたことが突然出来なくなったことに困惑し、何も作ろうとしない自分がとにかく嫌で仕方なかった。

原因は、今の現状に満足してしまっていたことだった。インターンやアルバイトで色々やって技術的にも自信がついてきていたし、就職するまでに技術を磨く時間もそれなりに残っている。それなのになぜ今やる必要があるのという疑問が薄っすら漂っていた。

「今これだけ忙しく頑張る必要あるの?」「何のためにやってるの?」

そんな言葉が頭をグルグル回り続けた。答えは出なかった。その思考になってから何も手がつかなくなってしまった。

昔を振り返ると、本当に辛い時もたくさんあった。開発中何日も徹夜したこともあったし、自分の技術力不足のせいで完成出来なかったことがチームメンバーに申し訳なくて、発表後ずっと泣き続けていたこともあった。
そんな中でも「本当に良いものを作る」ということに全てをかけてきた自分にとって、クオリティを諦めるような「満足した」という感覚は気持ちが悪くて仕方なかった。それを自分で認めたくなかった。


これをきっかけに、これから先「なりたい」ものを考えることにした。「これからどんなエンジニアになりたいですか?」みたいな話だ。目指すゴール・目的地が見えれば今やっていることは正しく、ちゃんと前に進んでいるという感覚を得られるのではないだろうか。今よりもっと上を見れば、この「満足感」も無くなるのではないだろうか。その一心で、とにかく上を見て自分のなりたい姿を固めていった。

実際に出てきたのは「有名カンファレンスで登壇するような凄いエンジニアになる」、「高いクオリティの作品をバンバン作れる凄いクリエイターになる」、「何かで世界一になる」などの漠然としたものだった。それでも今の自分にはないものだったので、全力で目指してみようと思った。

毎日技術記事を書こうとしたり、毎日2時間は何かモノづくりしようとしたりした。逃げられないようにするためTwitterで宣言したこともあった。「なりたい欲求があるのだから行動に移せるだろう」、そう思っていた。

しかし、全く上手くいかなかった。今までの生活と何も変わらなかった。実際は10年後までになれたら良いなくらいの感覚でしかなかった。「今やる必要あるの?」という言葉が再度頭をよぎったが、何も返せなかった。そこまでなりたいと思えるほどの強い意志はなく、今「なりたい」といえるものはなかった。

そして、なりたいものが見つからず目的地が決まらなかったことで、何をすれば良いのか、何がしたいのかも見えなくなった。目の前が真っ暗になるとはこのことかと思った。

「今までどういうモチベーションでモノを作っていたんだろう」、「この2年が人生のピークだったのだろうか」。そんなことを考えながら自己嫌悪で押し潰されそうになる。この3ヶ月は何をやっていても身が入らなかった。虚無だった。


「やりたい」 と 「なりたい」 の違い

ここから上記の経験に基づいて思ったことをまとめる。(明確な根拠があるわけではないが、一意見として読んでくれると嬉しい。)

自分の失敗談に基づいて考えたことは2つ。

1. 「なりたい」の行動のハードルは比較的高い
2. 「なりたい」よりも、まず「やりたい」から始めること


「やりたい」と「なりたい」は、欲求の中でも全くの別物なんだと思う。

「なりたい」はこんな姿でありたいという自己実現に近く、「やりたい」は、お腹が空いたからご飯が食べたい、眠いから寝たい、面白そうだから作りたいなど、具体的な行動、アクションに近いと思っている。(個人的な感覚)
「なりたいからやること」と「やりたいからやること」では、意識的なハードルの高さが違うように感じた。

振り返ってみると、病む直前までは「やりたい」だけでモノづくりをしていた。曲を作ってみたい、作曲支援のアプリを作りたい、業務で使っている技術を使いこなして価値のあるものを作りユーザに届けたい、そんなアクションに近い欲求があったからこそ、すぐ行動に移せていたのではないかと感じた。

その後、現状の満足感を無くして行動する意欲を上げるために「なりたい」を意識してみたが、結局行動に移すことは出来なかった。今まで自分は「なりたい」で行動していたわけではなかった。


参考記事の内容について述べると、「なりたい人」と「いつのまにかなっていた人」の違いは、「なりたいからやっている」と「やりたいからやっている」の違いなんだと思う。

例えば、「アプリが作れるようになりたい」と「アプリが作りたい」は別物で、前者は充分な技術力を持った人になりたいという印象を受けるが、後者は興味があるから作ってみたいという印象を受ける。「頑張ってやるぞという気持ちでやっている」のと、「将来のことは知らんけど面白そうだしやってみるか」には大きな違いがあると思う。

「なりたい」でやっている人が「やりたい」でやっている人に勝てるか(この表現が適切か分からない) については、正直分からない。ただ「やりたい」でやっている人にとってやることは当たり前なので、行動量の差は出やすいと思った。

もちろん、「なりたい」から何かを始めることは決して悪いことではない。未来の自分を想像したり、憧れの人に近づきたいと思ったり、そんな目標に向かって頑張る姿は正しくて美しいものだと思う。

ただ、もし「なりたいと思って始めたことなのに実行出来てない」、そんな自分が嫌になっていたら、「やりたい」からやっていくと良いのかもしれない。「アプリ開発者になれるか」を考えるより、純粋に「アプリを作ってみたい」という気持ちでまずやってみるのが大事だと思った。その方が行動に結びつきやすいと思う。

目の前の「やりたい」を続けても「なりたいもの」にはなれないかもしれない。でも、「いつのまにかなっていたもの」にも価値はあると思う。


これからの話

「これからどんなエンジニアになりたいですか?」みたいな質問にはそれっぽいことしか答えられないと思う。そもそも数年後にはエンジニアをやっているかもわからない。(しいていえばマネジメントやチームを作ることに興味がある。)

でもやりたいことはたくさんある。作りたいサービスのアイデアはあるし、デザインやバックエンドについてもっと勉強したい。プログラミングだけでなく音楽やイラストだって作りたい。記事も書きたいし、勉強会やLTだってたくさんしたい。技術カンファレンスにもたくさん参加したいし、もちろん仕事や研究も真剣にやりたい。これらは「なりたい」ではなく「やりたい」から来ている。今は心持ちも軽くなって前を向くことができている気がする。

今「なりたい」と思うものは思いつかないが、生涯を通して「やりたい」ことはある。「ユーザにとって本当に良いものを作りたい」。今はその気持ちを持ち続けながら目の前の「やりたい」ことを精一杯やっていこうと思う。

未来の自分がなりたい姿になれているか分からないが、未来の自分はきっと、やりたいことを全力でやった自分を許してくれるだろうから。


終わりに

ここまで読んでくださりありがとうございました。拙い文章でしたが、この記事を読んでくれた方が少しでも何かをするきっかけになったら嬉しいです。これからも前向きに頑張ります。

また、このテーマについて改めて考え、記事を書くきっかけをくださった@denkigai さん、ありがとうございました。

何かあれば、Twitter(@konatsu_p)まで。


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